秋本吉徳
Last-modified: Sat, 20 Jul 2024 21:28:41 JST (59d)
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秋本吉徳*1(あきもと よしのり)は、国文学者。故人。清泉女子大学名誉教授・元駿台予備学校古文科講師。晩年は横浜校を中心に出講していた。
経歴
- 1946年10月、奈良県生まれ。
- 奈良女子大学文学部附属高等学校(現・奈良女子大学附属中等教育学校)卒業。
- 京都大学工学部建築学科中退。
- 静岡大学人文学部国文学科卒業。
- 東京大学大学院人文科学研究科修士課程(国語国文学専攻)修了。
- 文学修士(東京大学)。
- 東京大学大学院人文科学研究科博士課程(国語国文学専攻)単位取得満期退学。
- 元 清泉女子大学文学部日本語日本文学科・清泉女子大学大学院言語文化専攻教授。
- 専門は古事記・風土記など日本古代文学及び日本芸能史。
- 2018年3月定年。
- 清泉女子大学名誉教授(平成30年8月3日)。
- 2022年4月21日、逝去(享年75)。
授業
- 基礎(大体の文法は一応知っているぐらい)を身につけた学生が、記述力・応用力を二次レベルまで伸ばすための授業を展開していた。
- 一般的な古文解釈とは一線を画す読解スタイルを持っていた。
- 国文学者としての観点から、品詞分解による訳読を「暗号解読のよう」として徹底的に批判し、血の通った人間が書いた日本語の文章として読むことを生徒に意識させていた。
- オーソドックスな方法では、古典文法の知識を用いて文章に品詞分解を施し、逐語訳を行っていく。これに対して師の読解スタイルは、古典文法をきちんと知っていることを前提としつつも、まず文章全体の大意(骨格)を掴み、その上で細かい描写を把握していく(肉付けを施す)というものだった。
- また、このプロセスを円滑に行うために、「古文常識(=当時の文化・歴史・思想)」の知識で文脈を読み取ることを重視していた。
- 生徒にもまず初めに大意をつかむように促す。
- 無闇に品詞分解を行うこと、ただ丁寧にゆっくり読むこと、逐語訳をしながら読むことには否定的である。
- 松井誠師が全文精読を主眼に置いているのに対し、師は「全文精読は無意味」とまで言い切る。
- ほぼ名指しで松井誠師を批判したこともある。「(コロナ期間で駿台の授業が映像だったことを振り返り)映像授業10回あってたったの5個しか文章終わらんて、アホか!(高卒クラスの映像授業は古文Ⅰα、古文Ⅱα共に松井師が担当)」
- 通期教材の答案添削においては、松井師が補いを禁止するのに対し、秋本師は補いを入れることを求め、むしろそちらの部分の添削を中心に行う。
- 通期の授業で両師が揃い踏みしていたコースでは、秋本師の方針に対して松井師が自分なりの補足を入れてくださることがあった。例えば、秋本師の逐語訳をしない方針には「最低限の文法や単語の知識があってこそであり、それらは覚えなければならない。もちろん本番で逐語訳をする必要はない。」と述べていた。
- 品詞分解を「気持ち悪い」と評したことも。師曰く「品詞分解や現代語訳は、『文章の内容を読んで理解すること』とは到底言えない。」(2019年度冬期講習での発言)という考えを持っているようだ。また、時間制限のある受験古文で全文精読をしていたらいくら時間があっても足りない、という理由もある模様。
- 和歌が大嫌いとのことで、源氏物語は高橋正治師に命じられるまで読まなかったほどだという。和歌に限らずレトリックなどから構造的に解釈を施すことが多い。(王朝)物語には大抵その内容に難癖をつけ、論理構成がはっきりしている歌論や旅行記のような文章を好んで扱う。このような性格もあってか、どのようなジャンルの文章であっても論理展開を重視した解説・模解を提示する。
- 高卒クラスでは前期開講前に古文読解に必要な文法事項をまとめたプリントを配り、以降はそこに書いてあることは全て頭に入っていることを前提に授業が進められる。
- ただし、説明にあまり時間を割かないだけで、現代語訳や解釈の際は徹底的な文法理解を求める。
- それなりに好き嫌いが分かれる授業である。師独特の読解法や学習法を所詮年配講師の言ってる事だと見做して我流に走る人や、単純に授業内容が難しいからという理由で逃げるように授業を切る人も多い。「嫌い」というよりは「ついていけない」人が続出すると言った方が良いだろう。
- しかし師が長年駿台で教鞭を取ってきたベテラン講師であるのは言うまでもなく、師の言う方法にきちんと従ってやるようにすればかなりの実力がつくのは確かである。求められる水準や敷居が高いのも事実ではあるが、第一志望に受かりたいならきちんと食らいつく努力をしよう。どうしても授業内容について行けないのなら質問に行けば丁寧に対応して下さる。
- 極めて延長が多い。ほぼ毎回延長する。と言っても15〜30分程度であるが。
- 師曰く「福井よりはまともに止めているつもり」とのこと。
- 高3スーパーα古典-雷神-では後に漢文が控えているのであまり延長しないが、休憩時間には必ず食い込む。CLが毎回忙しなく動いている。
- 2017年度の冬期講習では師が終了時刻を30分勘違いしており、教務が乱入して強制終了させるという珍事が起きてしまった。
「廊下に制服着た高校生がずらっと待っとってな、お前ら全員来年も来やがれと思ったわ。」
- 久山道彦師も使う首にかけるタイプのマイクを使用している。
性格に似合わず大変美しいくずし字を書く。- ここまで綺麗な字を書く講師はいないと思えるほどである。ちなみに、書道は地元の文化勲章受章者の先生から習ったそうだ。1ヶ月程度ですぐ上達し、何度か賞も貰ったんだとか。
- また、そこで悪事を働きすぎたあまり、小学校高学年(恐らく小6?わかる人は訂正を)のときに書道の先生(文化勲章受章者)に「お前はもう手に負えない」と言われたそうだ。
さすがヤクザは昔からやることが違う - ただ、文字は小さめで筆圧も薄いので後ろの席からは見えづらいことがある。しかも板書は話が脱線した部分も分けずにそのまま続けて書き、そのあとでその部分だけを消してから続きを書くことがある。ちゃんと流れを追いましょう。
- また、そこで悪事を働きすぎたあまり、小学校高学年(恐らく小6?わかる人は訂正を)のときに書道の先生(文化勲章受章者)に「お前はもう手に負えない」と言われたそうだ。
- 板書は早い上に口頭説明ですませる部分も多いので聞き逃しなどに注意。情報量の多い授業である。
- ここまで綺麗な字を書く講師はいないと思えるほどである。ちなみに、書道は地元の文化勲章受章者の先生から習ったそうだ。1ヶ月程度ですぐ上達し、何度か賞も貰ったんだとか。
- たまに教壇周辺の生徒を当てる。
- ただし、分からなくても怒られることはあまり無く(簡単な品詞分解で答えられないと咎めることがあるなど皆無ではない)、問題の難易度によっては上手い誘導で答えに導いてくださることもある。
- 例外として、師の前で「分かりません」と答えるのは厳禁である。考えることを放棄している姿勢が嫌らしく、場合によってはかなり怒られる。分からなくても分からないなりに考える姿勢は見せるべきだろう。なお、答えが分からず、黙り込んでしまったとしても怒られることはまずない。(怒られた場合は後述)
- 助動詞の意味を訊かれて少し考え「分かりません」と答えた生徒に激怒し、授業を中断して教室から出ていってしまった事がある。間違っていても何か答えたほうが良いと思われる。
怒らせたいときは分かりませんを連発しよう。(ちなみに「告げ給へり」の「り」の意味を聞かれた。答えは完了の「り」) - 尤も、その生徒は最前列に座っていたのにテキストもノートも出さず当てても「分かりません」と答え、 怒った師が出ていくよう命じると「すみません」と答えたから腹が立って出て行ったと師は話している。それが本当なら師が怒るのも無理ない。
- 「昔叱った生徒のことと記憶を取り違えているのでは」という意見もある。
- また、日本史選択が大宰府の設立時期について聞かれて分かりませんと答えても全く怒らなかった事もある。古文事項の質問ではないからだろうか。
- 師は基本的に短気であり、同時にかなり気難しい人柄でもあるので、(師の授業に限らないが)授業態度や返答にはかなり気をつけるべきである。
というか駿台の講師で気難しくない講師の方が少数派ではなかろうか。師は口は悪いが、普段見せる表情や口調は温厚な人柄が出ており、なんだかんだ生徒思いの先生である。
- 助動詞の意味を訊かれて少し考え「分かりません」と答えた生徒に激怒し、授業を中断して教室から出ていってしまった事がある。間違っていても何か答えたほうが良いと思われる。
- 質問対応は真摯。丁寧に解説してもらえるとは限らないが、相談事などには親身に接してくれる。
- どんな質問でも取り合ってもらえる訳ではない。(師にとって)簡単な質問や基本的な事項に関する質問については、「常識だ」とのみ返されることもある。どんな質問であっても丁寧に解説する講師もいるが、秋本師はそのようなタイプではないことに注意。
- その時の機嫌によっては、ややぶっきらぼう気味な対応になることもないわけではない。
- 現代語訳の添削を受け付けている。
- 本文、現代語訳、本文・・・というように書いていき、本文にどうしてそこに補いをしたのかという根拠を添えて主語などの補いを徹底的に行い、現代語訳にもその補いを反映させるのがルールである。
- 本文はまずテキスト通りに書き、その本文に補いを横から追加して書くやり方でやるとよい。
- 悪いところには×印がついて添削が返ってくるが、×印が重なれば重なるほど、ひどいミスであるということである。
- 2重に×印が重なっているところはひどいところで3重に×印が重なっているところは
代ゼミ以下の最悪のミスであるという。もしそれらが添削用紙にあるならば、すぐに用紙を持って師の元へ来るよう言っている。
- 2重に×印が重なっているところはひどいところで3重に×印が重なっているところは
- 1単元丸ごと出したいのであれば、ホッチキスでとめて何枚でも出してもよい。
- 本文、現代語訳、本文・・・というように書いていき、本文にどうしてそこに補いをしたのかという根拠を添えて主語などの補いを徹底的に行い、現代語訳にもその補いを反映させるのがルールである。
- 辞書を最重要視しており、辞書を「引く」のではなく1番最初の項から最後まで全部「読む」ことを推奨している。「読む」ことを何周も繰り返すことで単語力は仕上がると主張している。通期の授業でも夏期講習でも、必ず辞書の使い方について詳しい説明をされる。また、便覧も重視しており古典常識や文学史のために使うように推奨する。
- 一方、市販の単語帳や文法書などに対して否定的である。
- 「単語帳なんてものは今すぐ捨てて下さい。そんなもん使って学習しても受かる保証はできません。」
- 「単語帳なんてものを使ってたら落ちます。」
- 「お前ら帰りちゃんと神田川に単語帳流して帰れよ?」
- もちろん単語帳を使わなかった所で受かる保証がされる訳でもないのだが。
- 前後の文脈と関連付けて単語を覚えるというプロセスを排除してしまっているという点や、古文単語と現代語を1体1で機械的に対応させて暗記すると文脈によって適切な訳語が変わる場合に対応できなくなってしまうという点で、単語帳を嫌っているらしい。
- ただ、上記の単語を調べて覚える手法をこなしつつ、単語帳を同時並行で使う人もいる。講師の言う事をどこまで取り入れるかは自分次第である。
- 「風呂で覚えるシリーズ」を酷評している。
- そんな師が現在唯一?勧めるのは高橋正治師の『古文読解教則本』。
- かつては、他の本も勧めていたが、全て絶版となった。
- 共通テスト(センター試験)に関しては速読速解の重要性を説き、古文Ⅱβの扱いを批判している。
- 通期、講習を問わず、前年度や草稿段階の教材を使っているのか、生徒に配布される教材には記載のない問題の解説をなさることがある。
- 関東の京大対策講座は秋本師の独
裁壇場であり、長年担当している。
- 講習のオリジナル講座が豊富なのも師の特徴である。詳細は夏期講習の項を参照。
- 夏期講習では師が監修する古文特講と京大古文に加え、オリジナル講座が三つもある。
- 難易度順で並べると東大・京大合格への古文≧古文特講>読める古文>医系・理系の古文
- なんでも同じ「苦手」でも文理では質が違うのだとか。そのため細かいニーズに合わせて講習を作ったそう。
古文特講が色んな講師が担当する看板講座になったため、変な文章を使って遊べなくなったというのも一因らしい。 - ちなみに師のオリジナル講座では師はいつも以上に楽しそうであり、飛び交う冗談の数も通常より多くなる。もはや漫才なのではないかと思わせられる時もしばしば。
- 古文特講は、夏以降の勉強法や、ジャンル別の読みの注意点を教えてくれ、内容が濃くかなり有益な授業である。
- 2018年には東大古文対策の特別授業で大阪校に出講した。
担当授業
通期
- 古文(基幹・共通テスト対策)(横浜校-SA,SE,SS,LA,LQ)
- 古文(国公立大対策)(横浜校-LA,SE)
- 高3スーパーα古典-雷神-・特訓古文-雷神-(横浜校)
- 高2スーパーα国語(横浜校)
人物
- 国文学者(日本古代文学・芸能史)。
- 横浜市在住。
通称悪い方の駿台古文科の重鎮。- 御歳七十五を迎えた駿台の最古参講師の一人で、ほとんどのベテラン講師と交流を持つ。
- 師のことを呼び捨てにできるのは、同じく古文科の重鎮である関谷浩師・物理科の山本義隆師・同い年で現代文科の二戸宏羲師くらいである。
- 山本師は「おい、秋本!」と呼んで席を譲るらしい。年賀状も送り合う仲で、山本師が平安時代の文献を読む際は師を頼ってくるとか。
- これまでは山本師が本を出版する度に献本してくれたそうだが、遂にくれなくなった。珍しく葉書が届いたと思ったら『新しい本を出した。買え。』と書いてあったそう。
- 一方で秋本師自身は、生徒に対する雑談の中においては、同じ講師でも呼び捨てにする時としない時があった。
- 二戸師と仲が良い。
- (前期開講週にて)二戸師「秋本って奴の授業まだ?あっ、そもそも秋本って知らないか。あのね、古文科には秋本っていうヤクザの親分みたいなのがいるんだよ。」
- 同じ大学教授という肩書のためか久山道彦師とも仲が良さそうである。良く一緒にエレベーターに乗っている。久山師が2歳の息子に靴の中に履くのになぜ靴下というのかと尋ねられた際、一週間調べても理由がわからず最後に頼ったのが秋本師であったとのこと(下というのは古語で表に現れていないという意味だからが答え)。
- 師のことを呼び捨てにできるのは、同じく古文科の重鎮である関谷浩師・物理科の山本義隆師・同い年で現代文科の二戸宏羲師くらいである。
- コロナ前の前期授業では「時間のある今のうちに志望校の授業シラバスを読んだり授業に潜ったりして、モチベーションを上げると同時に、自分がその大学で何を学びたい・何が学べるのか考えておく」ことを度々推奨していた。
- 特に授業の潜りについては、京大の素晴らしさを生徒に説く際に「京大はそんなことを許してくれるほどおおらかである」という文脈で幾度となく持ち出していた。
- 国立大学になにかしらのこだわりがあるようである。
- 本人曰くやりたい事が静岡大と岡山大のみでしか出来なかったため、京都から離れた静岡大を選んだという。
- 私大嫌いの節があり、特に早慶に対しては度々ディスる。
- 「早慶の門をくぐってみ、あの敗北感はなかなかやで。」
- 行きつけの病院が日吉にあるらしく、下車する度に
頭の空っぽな慶大生の会話を聞いて苛立つらしい。「何が今日はどこで飲むぅ?や。ISに頼んで全員殺すぞ。」
- 東大や京大のコースの生徒に対しては、私大関連の進学相談は早慶であっても取り合ってくれない場合がある。京大クラスでは「京大コースにいるなら早慶は絶対に受けるな、受けるなら早慶コースに行ってくれ。」という旨の発言をたびたびしている。
- 「お前らは京大コースにおるんやろうが。一浪して早慶に行くくらいやったら二浪して京大に行けばいい、それが京大コースというもんでしょう。早慶の話をしに来るくらいならこのクラスから出て行け」とまで言い放ったこともある。それだけ国公立大志望者への思い入れが強いのであろう。
- ある時は横浜校のLAクラスで「お前ら来年Vサインして早稲田なんか行ったら殺すぞ」とおっしゃった。5月ごろは生徒も笑っていたが、
9月以降は同じ冗談でも生徒の笑顔は強張っていた - スーパー早慶上智大文系クラスの授業では東京外大などの私大専願でも受けられる国立大学に入ることをたびたび推してくる。
- 横浜校のスーパー国公立大医系コースでも、初回授業で「私大医学部は厳禁や」とおっしゃった。
- 早慶をディスる際には、「早慶からではまともな研究者のルートには入れない」と語ることまである。
- しかし、分野にもよるが、早慶出身でも活躍されている研究者は数多くいる。それどころか、最近では国公立よりも有名私大の方が財力に恵まれていることが一般的で、分野によっては有名私大の方が資料が豊富で研究環境として充実していることもある。研究職をめざす場合(特に文系)は、事前に大学図書館・学内博物館の資料公開状況をチェックするのもいいだろう。デジタルアーカイブなどのコンテンツが豊富な大学は、それだけ研究環境も良好だと見て差し支えない(ちなみに師の専門である芸能史で史料数が豊富な大学は、師がディスる東大と早稲田である)。
- 師がこのような姿勢を取る理由の一つは、早慶と国立大学の問題はかけ離れており早慶を受けてもタメにならないからであると思われる。日程的にも2月の直前期は京大に集中するべき時期である。上記のように私大を卑下している節もあるが、最終的な目標はあくまで京大であり、早慶ではないのである。
- 志望学部の研究内容にもよるが、文系であればセンター利用で早稲田を取ることを勧めることも多い。
思い通りに取れる人は少ないが。 - なお、この発言を遵守する生徒はほぼ皆無で、早稲田のセンター利用に失敗して結局一般入試を受けることになる。生徒からすれば京大しか受けないという大きな賭けはしたくなく、京大に落ちて二浪するよりかは早慶を確保して一浪で終わらせたい、という心理が働くからである。
- 志望学部の研究内容にもよるが、文系であればセンター利用で早稲田を取ることを勧めることも多い。
- オンデマンドサテネット授業開始初期に授業を担当していた。
- オンデマンド授業では常にスタジオ中が笑いに包まれ、カメラマンまでもが笑ってしまい、上手く師のことを撮影することができず、翌日クビにされたのだと本人は言う。
- 授業のない空き時間に頻繁に外出するため、質問したくても講師室にいないことがある。
- ズボンのベルトをつけずに授業をしている。
- 現在の古文科の中心である上野一孝師を全く信頼していない。
- 上野師本人だけでなく、その監修物も嫌いらしい。古文Ⅰαに至っては持ち歩くのも嫌で、扱う文章と問題をまとめたオリジナルテキストを師だけ使っている。古文Ⅰαの問題の形式なども批判しているのは言うまでもない。
- そのため、初回の授業では必ず「もう片方の先生はホットいて 誰だか知らんけど。」とまで言い張る。
- 問題も東大京大対策には不足であるとして度々改変・補充を行う。
- 例年京大クラスでは後期からは教材の本文だけを扱った演習授業に切り替えられる。
- 上野師の作成した問題がおかしいと激怒することもあった。
- 文章は原典から再度抜き直しているそう。上野師と秋本師の参照した伊勢物語の写本系統が違ったために、秋本師の解説を生徒が全く理解出来ないという事態が起きたことも。
- 京大コースの古文では、後期になってもこんなテキストやるくらいなら京大本試の過去問か実戦問題集の過去問をやるべきだと言うことも。
- 青本の古文の解答についても、「英語は5人、数学は雲と小林の2人で作って(恐らく雲くんが解くんでしょうが)いるのにどうして古文は1人に任せるのか?それにその人が信頼できないんですよ~この前の東大添削を作ったのも彼ですが間違えていたでしょ。」とおっしゃっていた。解答欄がかなり余っているのに主語や目的語を補わないのは信じられないらしい。
- 3号館あるいは東大が嫌いで、お茶の水校の東大コースの出講を取り止めている。
- このことについて師は、「3号館は東大専門校舎と言っておきながら、在籍者の3割も受からんなんて馬鹿げとるやろ、だから3号館で授業してへんのや」とおっしゃっていた。
その割には講習では3号館で授業をする。
- 2018年度に3号館で開講された直前講習では、3号館は消防法に違反した建物であると仰った。建築学科に一度入られた師ならではの発言と言える。また、1号館に関して、3号館以上の問題があるとも仰ったが詳しいことはわからない。とにかくお茶の水校においては2号館が一番お好きなようである。
- 2019年度の夏期講習で、3号館に教室が割り振られた際、1日目のみ予定通り3号館で授業を行い、2日目以降は2号館に
まさかの校舎変更を行った。 - 1992年度の秋本師の雑談中、すでに3号館の閉塞感が嫌いという話は出ている。だから3号館には出ない。また市谷校舎に関しても同様なことを話されていた。また担当していた理系のコースでは、東大、京大、東工大以外は行ってはいけないような発言もされていた。但しその頃は東大や早慶を否定する発言はなかった。
- お茶の水校長と意見の相違がありお茶の水で授業はやらなくなったと仰っていた。ただ講習はどうしてもと懇談されたので開講しているとのこと。
- また、昔、代ゼミの参考書で内職をしていた生徒を机ごと蹴り倒してから担当がないという噂もある。
この時その参考書に書かれていた解説を読んでそのデタラメな内容に閉口し、それ以来代ゼミが嫌いになったらしい。- 生徒に直接謝った経験も1度ではないそうだ。
- 理由が二転三転していてはっきりしない事、また師の性格を鑑みると、3号館のスタッフや講師陣が何かしら気に食わないのかもしれない。あくまで予想に過ぎないが。
- このことについて師は、「3号館は東大専門校舎と言っておきながら、在籍者の3割も受からんなんて馬鹿げとるやろ、だから3号館で授業してへんのや」とおっしゃっていた。
- 横浜校開校当時から逝去まで毎年横浜校に出講していた。横浜校の最大の特徴が秋本師の存在だといえるほど講師・職員・学生から慕われていた。
- かつては関西への出講もあった。
- 上記のように、東大対策の特別授業などで現在も関西へ招待されるのはその縁か。
- 高橋正治師が駿台に出講していた当時、写真と講師紹介文をパンフレットには載せていなかったが、1993年度からパンフレットに載るようになった。
- 池袋にあった駿友予備学校(のち、駿優予備学校)にも出講していた。
- 弟が一人いる。息子も大学教授。
- 奈良県の出身。関西弁で話す。
- 高校時代は水泳部。強豪校だったらしく練習はかなりきつかったようだ。
- 映画「アウトレイジ ビヨンド」にて神山繁演じる花菱会会長が風貌も口調も良く似ている。
決してモデルではない。髪型はどうであれ、顔は具志堅用高にもかなり似ている。
- 古き時代の駿台講師らしく、大学教授を兼任。国文学者として研究活動を続けられている。
- 専門は古事記・万葉集・風土記といった上代文学、および古代建築・民俗芸能史。特に風土記の神話研究では第一人者であり、大学で風土記を専門的に学べばどこかで師の著作を参照するはず。
- 兼任している大学がキリスト教系の大学であるにも関わらず、キリスト教を批判した内容を大学の講義で言ったところ、罷免されそうになったという。
- 定年を迎えたため17年で大学はお辞めになったが、在野の研究者としてまだ研究を続けるそうだ。奈良の友人から古代建築研究を誘われ、いよいよ本領発揮が出来るとかなんとか。
- ちなみにこの研究はコロナで事実上できなくなったとのこと。
- 左寄りの思想なのか、和暦である「令和」を使わず世界標準である西暦を使うことにこだわっているそうだ(本人談)。
- 2019年度の授業では、典拠である万葉集の専門家として「令和」という文字そのものをたびたび批判していた。
- 元々は寺社建築に興味があって京大工学部建築学科に在籍し、そこから文転。最終的には東大院を卒業という異色の経歴の持ち主。
- 中退ではあるが、京都大学への愛は深く、関東の駿台における京大受験の最高責任者と言っても構わないほどである。
- 横浜校の一大イベント、「京都大学への道」は師の主導。
- 横浜校SALAでは度々東大を貶し、京大を宣伝する。東大志望者をゼロにし、京大専用校舎にするのが目標らしい。
- 師曰く、「東大は犯罪者養成所。京大は出家するための場所」
- 大学準備講座においても合格者がいるにも関わらず散々東大をディスっていた。筋の通った理由があってディスるところもあるので聞きに行くべし。
- 世間が持ついわゆる京大生のイメージをそのままにした様な方である。久山師とは対照的。
しかしそれでいて一流の研究業績を挙げているのも京大の本質と言ったところだろうか。- 「京都行ったら大学行く暇なんてないでぇ。春は桜、梅雨は紫陽花、夏は琵琶湖、秋は紅葉。冬は雪見酒やな。京都は縦に長いから下から追っていかにゃならん。」
- 「くれぐれも『授業は2/3以上出席する』なんて思うなよ。『1/3の授業は休んで良い』と解釈するんや。安室奈美恵の最終コンサートと授業どっちが大事やねん。だから五月は授業サボって葵祭行けっちゅうんや。」
- 「京大に行くことは出家や。官僚は東大のやつらにやらしときゃええねん。」
- 近年駿台全体の京大合格者数が東大合格者数を上回ったことを大変喜んでいらっしゃる。
- 2021年度の京大入試では、有志の京大生により久山師と共にタテカンになった。https://twitter.com/kutatekan/status/1364710881918001155
- 「テンプレート的な関西人のおっちゃん」に近い、ざっくばらんな部分のある人物だった。大学教授兼予備校講師というポストに収まるまでには色々経験してきたそうであり、かつての「武勇伝」を雑談で頻繁に話す。
- 練馬にある御三家男子校で非常勤講師をしていたこともある。体調を崩した先輩の代打だったため早朝起床の生活に馴染めず、午前中の授業を度々自習にしては校長に呆れられていたらしい。いつのまにか受け持つ授業が全部午後の時間帯になっていたとか。
- 代々木ゼミナールの大矢復先生の中2の時の担任だったそう。
- 大学院時代には角川にて辞書編纂のアルバイトもした。本人曰く「三浦しをんの『舟を編む』そのもの」の仕事だった。
- その際「をかし」の担当となり用例採集を行なったが、余りにも意味が多岐に渡るので基本的なものだけ記し『「をかし」は文によって意味が異なるので例を踏まえた上で読者自身で考えて欲しい』と注をつけ放棄したところ、注がそのまま掲載されて愕然としたらしい。
- 更に師の友人がその注を気に入って別の単語にも記載。辞書なのに自分で意味を考えさせる辞書としてそこそこ売れたんだとか。現在は全国の高校教員からのクレームを受けて改訂されてしまった。
- 東京書籍に依頼されて巷で虎の巻と言われる教科書ガイドを執筆していたことも。
- ちなみにこの時も『この程度のことは自分の力で考えるように』と記して手を抜いたところ、クレームが沢山来たらしい。
- 口ひげをはやしており、通勤時は黒いサングラスを着用することもある。
- その風貌からか電車の中でヤクザに間違われたことがあり頻繁にネタにする。
- 特に花札の話が出てきた時はジョークがマシンガンのように飛んでくる。
- ちなむと師に花札を教えてくれたのは本物のヤクザなのだとか。
- なんと山口組の○○組長と小学校の同級生だそう。
師はその組長よりはるかに破天荒な少年だった。
- 関西人らしく大の阪神タイガースのファン。
- 阪神が負けるとそのことを翌日の授業のネタにすることも。
阪神が負けた翌日に質問に行くと少しだけ機嫌が悪いこともある。 - 阪神が勝つと次の日は機嫌がよく授業がとても素晴らしくなる。
- 実際、2019年度は阪神が4位から6連勝して3位に滑り込んだ次の日の火曜日、横浜とのCS1stステージに勝った次の日の火曜日は今まででいちばん素晴らしい授業が展開された。
- なお、ベイスターズファンとの取っ組み合いのケンカが全国ネットに晒されたことがあると本人は言う。
- 巨人が負けると最も機嫌がいいらしい。
- 最近はベイスターズと阪神の試合を観に行く際に、カモフラージュのために青色のグッズを揃え、ベイスターズファンのふりをしているとのこと。
- 阪神が負けるとそのことを翌日の授業のネタにすることも。
- かつて入試問題の作成をした際に、マーク式であったため面白半分ですべての解答を「1」に揃えたところ主任に「こんなに意地の悪い問題はありえない」と言われたらしい。
- それを受けて翌年は解答を「1.2.3.4…」としてみたところまたもや主任に苦い顔をされたそうだ。
- 2年連続でこうした問題を作ったためか、翌々年からは大学院の試験担当に回されたそうである。
- 結婚式をなんと仏滅の日にやられたそうだ。
- そのため縁起が悪いということでキャンセルが続出し、結果当初の半分程度の出費で済んだそうだ。
- 秋本師はこれまで40年間教え子に仏滅の日に結婚式を挙げろとおっしゃってきたそうだが、未だに1人もやったことがないらしく、このことを嘆いていらっしゃった。
- 1985年8月12日、お茶の水での夏期講習後、翌日の大阪での講習のため、別の先生二人と(大阪着)19時の飛行機で羽田から大阪へ向かう予定だった。しかしその先生が「秋本!銀座で天ぷら食ってから行くぞ!」と提案したことで(大阪着)21時の便に変更した。19時の飛行機はあの御巣鷹山に墜落した123便だったので、銀座で天ぷらを食べたことで命が救われたらしい。
- 大阪に着いたから、本来乗るはずの飛行機が墜ちたことを聞いた時は足の震えが止まらなかったらしい。
- 翌日大阪校に出講したら、事務の人に「あら秋本先生、死んでなかったんですか?」と言われたというのがオチ。
- オーロラ輝子の大ファンといっていた時期もある(朝ドラにオーロラ輝子が出てた時代の発言)。
- 通常の人間の骨格よりも肋骨が一対ずつ多いらしい。師曰く「僕は人格に問題があるのは認めますが、身体にもそんな問題抱えてるって知った時は、まあびっくりしたなぁ」
- 学生時代にデモに参加した所警察に捕まり、護送車で連行されたらしい。「赤信号とか全部無視して突っ走って、ヒーローになった気分やったぞ。」
- 同じく学生時代、「田中角栄がまもなく逮捕される」という噂を聞きつけ、友人と共に田中邸付近まで急行して電柱によじ登ったところ、角栄本人の姿は見れなかったものの角栄が乗せられた車が田中邸から走り去って行くのを目撃したそう。
- 沖縄が返還されるより前、つまり渡航にパスポートが必要であった時代に、なんと貨物船に乗って沖縄に密入国したことがあるらしい。
- 1号館近くの神田明神へ合格祈願に行く受験生について、「反乱起こした武将にお参りしてどないするんや。結局討たれてるんやから意味ないやろ。落ちたら大学にカチコミでも行くんか?」と元も子もないことを言っていた。
- 練馬にある御三家男子校で非常勤講師をしていたこともある。体調を崩した先輩の代打だったため早朝起床の生活に馴染めず、午前中の授業を度々自習にしては校長に呆れられていたらしい。いつのまにか受け持つ授業が全部午後の時間帯になっていたとか。
- 代ゼミと青山学院のことをよくネタにしている。小馬鹿にした発言をよくする。特に代ゼミは「ひどい」「とても悪い」の代わりに使う言葉として毎回のように口にする。
- (例1)「青学だに入らばや」
- (例2)「代ゼミゴミぜよ」 ※坂井孝好師の項を参照
- (例3)「今年のセンターで満点取れなかったなら人じゃない!30切ったなら代ゼミ!」「難しい問題が出ても大丈夫!代ゼミもいる!(冬期直前講習)」
- (例4) 講習を受けに来ていた代ゼミ生と講師室で会話し「先生、私代ゼミ生なんですけど」「すぐにやめなさい!」(2019年度直前講習にて)
- ただし、最近は四谷を馬鹿にすることも多い。「お前ら偏差値50割ったら代ゼミ行け!偏差値40割ったらなんで私が京大に?やぞ!」 (全国模試)
「なんで私が東大に?って自分が東大に行った理由も分からんくらいアホなんやろな」- この、助動詞「だに」の説明の際に使われる例文である『青学だに入らばや』であるが、青山をもちだすのは師が学生時代に東京に出てきて好きになった女性が青学の学生だったかららしい。ネタにするのもここからきているようだ。
- 2020年度は新型コロナウイルスと大学入学共通テスト導入の影響で波乱の一年となっているが、国の対応にひどく納得いかない様子である。「菅はコロナになって死ね!」とまで仰っている。
- その2020年度は講師はマスクかフェイスシールドの着用を義務付けられているが、ある時師がフェイスシールドを忘れたまま1コマ授業が終わってしまった。
生徒より師の命が危ない
- 2017年後期のある授業では同じ雑談を1コマの間に2度し始めたことがある。教室全体が「同じ話してる…?」という微妙な空気になったものの突っ込みを入れる生徒はおらず、師もとうとう自分が同じ話をしている事に気づかないまま終わってしまった。さすがにそろそろ歳なのだろうか。
- 最近は体調が優れず、病院で点滴を打って貰った後に駿台に出校される日も多い。お体に気をつけて頂きたい限りである。
- 2022年4月21日に急逝。享年75。横浜校にて2022年度通期授業を担当し始めた矢先の出来事であり、生涯現役を貫いた。
- 横浜校では自宅のベッドで亡くなったという説明がされたが、死因等の詳細は不明。(校舎長曰く、なかなか起きてこない秋本師を奥様が起こしに行った時にはもう亡くなられていたという)
- 22日1、2限の授業終了間際の久山道彦師の発言「人生にはいろんなことがある。それが別れだったり病気だったりする。でもよく聴いて。どんなことがあっても淡々と勉強を続けることが大切なんだ。」「もし私がこの世とおさらばしたらみんなが我が墓前に合格の文字を供えよ。」あの久山師が声を振るわせながら語った。この発言の直後に廊下に待機していた校舎長が泣きながら入ってきて説明し始めた。
- 久山師の思わせぶりな言葉、そして校舎長が廊下に待機していた事に気づいていた勘の良い生徒であれば、何らかの重大な報告がある事は察していたかもしれない。
- SEクラスでは永島豪師が涙を目に浮かべ、時には言葉をつまらせながら秋本師を語った。
- この言葉から秋本師がいかに生徒を想っていたかが伺える。東大と京大を知り、文系理系両方の生徒の気持ちが分かるという秋本師の急逝は駿台、いや予備校業界においてとても大きな損失と言っても過言ではない。
- 亡くなる前日である4月20日にも横浜校に出講し、いつも通りの授業をやっておられ、講師室でも西村能一師とタイガースの話で盛り上がったり、2022年度横浜校初出講の寺師貴憲師にも優しい励ましの言葉をかけたりしておられた。
- 本当に何が起こるかわからない。一つ一つの授業を大切に受けよう。
- 2022年度の初回の雷神では、『来年の共通テストの予想はもう立っているからな。お前ら絶対俺の講座取れよ。』と言っていた。本人も悔しい思いをしているだろう。
- 2022年度夏期講習パンフレットにて新規に「難関国公立大古文演習」を開講と掲載されたが中止となった。
- 仏教の話を扱う際に師は何度も「俺は散々悪いことしてきたから地獄に落ちる。」と笑っておられた。しかし半世紀以上の長きにわたり予備校の教壇に立ち、多くの生徒を合格に導き、今なお多くの卒業生の記憶に残っている人が地獄に落ちるなどということは決してないだろう。
駿台遍歴
東大、あるいは3号館嫌いと言われているが、桑原岩雄師引退後、1990年頃までは、3号館午前部文1α(東大文系コース)に高橋正治・関谷浩両師と個性の異なる“最強トリオ”で出講していた。
- かつては、駿台京都校や大阪校の夏期冬期講習で「古文特講」などを担当していた。
- 師の話によると駿台講師二年目の頃、市谷校舎へ出講していたそう。
- 年上の多浪生に「君新人?まあ頑張りたまえ」と激励されたらしい。
- 先輩講師だとばかり思っていたところ、担当したクラスの生徒の中に何食わぬ顔で混ざっているのを見つけ、そこで初めて多浪生だと分かったそうな。
- 2008年度まで、横浜校で夏期講習、冬期講習の「東大古文」、直前「東大プレ古文演習」を担当していた。
- 2009年度から、夏期講習、冬期講習で「東大・京大合格への古文」を開講するようになり、講習会の「東大古文」の横浜校担当は松井誠師に変わった。
- 2019年度までお茶の水2号館に出講し、京大コースの古文を担当していた。季節講習では2020年度と2021年度もお茶の水には出講していた。
- 2021年度末まで藤沢校に出講し、最上位クラス(SA、LA)や季節講習を担当していた。また2020年度までは高3クラスも担当していた。
- 時期は不明だが、師本人曰くかつて現代文を教えていたことがあったらしい。
名言集
- 「文学少女を求め、文学世界に逃避するための学問ではありません!文学を通して世界を見つめ、自分の頭で考えて、自分で行動できる人を創りたいです。」
著書
主な著作のみを記す。その他の論文・寄稿等は"秋本 吉徳 (Yoshinori Akimoto) - researchmap"を参照のこと。
編著書
- 『古語拾遺(新撰日本古典文庫4)』(現代思潮社、1976年)
- 『風土記 全訳注 1 』(講談社、 1979年)
- 『常陸国風土記: 全訳注(講談社学術文庫)』(講談社、2001年10月):上記の改題
- (久松潜一監修)『賀茂真淵全集 第26巻』(続群書類従完成会、 1981年)
- 『出雲国風土記諸本集』(勉誠社、1984年)
- 『新撰亀相記』(神道大系編纂会、1992年3月)
- 『兵部卿物語全釈』(武蔵野書院、2019年2月)
論文
- 「『常陸国風土記』の世界」(『解釈と鑑賞』67‐11)2002.11
- 「中央と地方との関係-地誌-」(『岩波講座・日本文学史1)1995.12
- 「『常陸国風土記』-その魅力-』(『国文学』54‐7)2009.5
寄稿
- 「古文を自分のものにする学習法」 宮崎尊 『モリモリ勇気の出る受験勉強の集中講義』 (草思社、1990年、pp.168-175.)
- 「広場(エッセイ)」 『駿台フォーラム』第15号
- 「大学と高校のはざまで」 特集「教育変革と新しい予備校像」 『駿台フォーラム』第19号
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