代々木ゼミナール
Last-modified: Sun, 28 Apr 2024 20:21:45 JST (197d)
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代々木ゼミナールは、学校法人高宮学園が経営する予備校。
概要
- 東京都渋谷区代々木に本部をおいて全国展開する大手予備校。かつて「三大予備校」のひとつに数えられていた。
- 講師の移籍を含めて、かつては駿台の最大のライバルだった。
特徴
- キャッチフレーズは「日々是決戦」「親身の指導」「志望校が母校になる。」など。
- 学費が比較的高いことから、「代々木ゼニトール」「日々是決算」「親身の集金」「銭身の指導」などと揶揄されていた。
- 伝統的に私文に強い。
- 伝統的に駿台に馬鹿にされている。
- 本科(大学受験科)より単科ゼミに力を入れている。
- 特定の講師のファン(「信者」)が多い。
- 学期の途中でも他クラスに潜りまくり、次々と講師を変えたり、授業を切ったりする生徒が一定数いた。
- 推し講師の方法論や解法テクニックの正当性をめぐる信者間の対立がたえなかった。それをけしかける講師もいた
- 奨学金(スカラシップ)制度があり、成績に応じて学費が割引きとなることもメリットである。
- 以前は、有名進学校の生徒は模試を受けたり、センター試験のデータリサーチを出したりするだけでタダ券が来るなど優遇されていた。
- 特待生制度は1992年度に三大予備校の話し合いでいったん、中止されたことがある。
- 現在でも、上位校の浪人生の中には授業料が最初から半額程度になる者もいる。とにかく生徒を確保したいという意思が見えるという声も。
- 非進学校であっても、認定テストで良い成績を収めることで数十万の減額は可能となっている。
- 予備校バブル期の特待生濫発期においても、東京の御三家(開成、武蔵、麻布)や県立浦和の既卒生の多くは、代ゼミを小バカにして蹴り(あるいは籍だけ置いて)、駿台に通っていた。
(日比谷は含まれない?)←予備校バブル期に日比谷は低迷期。 - 50万円以上の減額が取れた場合、通期は代ゼミで講習だけ駿台にいくなどしたほうがよい。駿台は模試12回のみ無料で残りは有料となるが代ゼミは代ゼミが開催する分すべてに加えて駿台記述模試(進研模試)などもオールインクルードであり、非常にお得である。
- 通期は代ゼミ、講習は駿台、模試は代ゼミ,駿台の併用が最も賢いと思われる。
- 結局予備校はペースメーカーにすぎないので、できる限り安い(安くなるところ)がおすすめ。ただ必要に応じて他塾の講習を受けよう。
- 駿台だと通期で100万その他講習、外部模試でもとられ合計130万程度見積もらないといけないがそんなに支払う価値はない。代々木ゼミナールなら通期50万以下、無料模試の回数も多いため模試代もかさばらない年70万程度で済むと見積もれる。正直駿台に100万はらう価値はないので、代ゼミで減額がおすすめ。
- 他予備校に先駆けて様々なシステムを導入した。
- 1990年代前半に、衛星講座(サテラインゼミ)を導入し、講座数、受講生とも、駿台、河合塾を大きく引き離し大成功を収めた。実は人件費削減のためである。ただし、単科ゼミにおいて本科生は受講料が半額となる制度がサテラインゼミには適用されなかったため、相応に資本を投下していたようである。
- 地方校の生徒には首都圏の人気講師の授業を地元で受講できるとあって、大好評であり、地元講師の講座よりもサテラインゼミの方が活況であったほど。人件費削減のために衛星授業を開始した
- 開設当初は教室の授業を通信衛星経由でリアルタイムで各校舎の専用教室に中継する形式をとっていた。中継に使用される代々木本校の教室の一つは350人収容の代ゼミ最大規模の教室であった。
- 各校舎には全校舎のサテラインゼミ(単科、講習会)の締め切り状況が掲示され、西谷氏や吉野氏など超人気講師は全校舎で教室増設→締め切りとなり、代々木地区では原宿、千駄ヶ谷、代々木本校に受信教室が設置されるなど、ほとんどお祭り騒ぎであった。
- 当初1チャンネルで運用開始したが、最終的には4チャンネルにまで増強し、4授業を同時中継可能とした。必修科目全授業をサテラインゼミで受講するコースも開設され、こちらも好評であった。
- 映像授業の質が高く、音声や画質もはっきりいって、大手予備校の中ではトップである。
- 映像は一般教室の天井に設置されたカメラによって収録されていたが、講師にカメラを過度に意識させることなく教室の生徒に普通に授業する様子を、複数台のカメラをリアルタイムで遠隔操作して無編集で同時中継していた。その割にサテライン教室においても板書が取りにくいなどということがなく、教室の授業の臨場感そのままに放映されていた。このようなことから、サテラインゼミが高度な映像技術によって支えられていたことが推察される。他予備校の映像授業が打ち合わせありでスタジオ収録に特化していたことを考えると、映像授業においては他の追随を許さぬものであったと言える。
- なお、駿台の映像授業は画質が悪いことで有名。
- 新しい講座はそこまで出ない。
- 1990年代前半に、衛星講座(サテラインゼミ)を導入し、講座数、受講生とも、駿台、河合塾を大きく引き離し大成功を収めた。実は人件費削減のためである。ただし、単科ゼミにおいて本科生は受講料が半額となる制度がサテラインゼミには適用されなかったため、相応に資本を投下していたようである。
- 大学入試対策のフランス語・ドイツ語講座、美大対策講座(造形学校・横浜アトリエ)や大検対策講座(バイパススクール)、帰国子女対象講座、資格試験講座(ライセンススクール)などを、他に先駆けて開講していた。
- 各校舎に、かつては代々木ライブラリーという併設書店があった。
- 今でも、本部校は設備が充実しており、予備校としては珍しく、食堂や寮がある。
- 浪人生の一部の本科生コースでは、生徒自身が講師やテキストのレベルを決めることができる(通称オリカリコース)。
- 自分に合った講師を選択できるのもメリットであると言えるだろう。
- 看板講師といってもいい講師の講座に生徒数が数人だったり、公民の授業に生徒数が一人だったりすることもあるようで、率直に言って風前の灯火といってもいい状態になっている。かつてを知るものとしてはなかなか痛ましい。
- 生徒数が少ないことのメリットは、自習室が満席になることはなく使いたい時にいつでも安心して使えることや席どりする必要はないことがあげられる。
- 最近では、駿台、ベネッセコーポレーションとともに文部科学省が提唱する「英語4技能」の育成を共同で推進していくことを発表したことで話題になった。ベネッセコーポレーションが運営する英語検定試験「GTEC CBT」を活用したサービス提供を開始するとのこと。
- 2014年度末(2015年3月)、生徒数の減少を受けて校舎整理を行い、全国の校舎の7割が閉鎖された(いわゆる「代ゼミショック」)。
- 全国にある24校舎を6校舎へ縮小した。
- 一般には、造形学校(東京・原宿、横浜、大阪)も含めて、「27校舎を7校舎へ縮小」と報道された。
- 存続校舎は、本部校(東京・代々木)・札幌校・新潟校・名古屋校・大阪南校(難波)・福岡校の6校舎+造形学校(東京・原宿)の直営7校舎+立川北口受験プラザ。
- 2014年度開設の立川北口受験プラザも存続していたが、2020?年度で閉鎖した模様。[要情報]
- 閉鎖校舎は、仙台校・高崎校・大宮校・柏校・津田沼校・池袋校・立川校・町田校・横浜校・湘南キャンパス(大船)・浜松校・大阪校(吹田)・京都校・神戸校・広島校・岡山校・小倉校・熊本校の18校舎+横浜アトリエ+大阪造形専門学校(大阪南校芸大美大受験コース)
- なお、当時代ゼミがもっていた校舎は、貸し会議室やホテルへの転用、各種教育機関への売却にまわされることが多かった。
- 駿台にも一部校舎(浜松校と津田沼校)を売却している。
- また、駿台池袋校生にとっては、駅からの通学路にあった代ゼミ池袋校が外見そのままに東京福祉大学に変態したのでインパクトが大きかったそうだ。
- 現在でも、新潟や札幌、福岡などの地方では駿台、河合塾に勝るとも劣らない生徒数をあげている。
- この要因には、サテライン授業によって本部校の良い講師の授業が、地方にいても受けられるということがあるのではないか。
- それとやはり、前述の通り、今は広く門戸が開かれるようになった減額制度が魅力的である。
- 代ゼミショックにもかかわらず、所有資産ランキングでは全予備校中1位(「もはや予備校ではなく不動産会社」とおっしゃる講師も)。
- 平成の初期に代ゼミの幹部がインタビューにて将来は不動産管理に転業する可能性に言及している。実は想定内であったのかもしれない。
- 予め会議室やホテルに改装できるように設計されていたため校舎を閉鎖しても転用が容易であり、経営を維持できているとも言われている(ホテルの代ゼミ)。その意味では先見の明があったと言える。
駿台も頑張っていただきたい。
講師
- 荻野暢也氏曰く、講師の採用は実力主義とのこと。それが「講師の代ゼミ」と言われる所以なのだろう。
現在でも富田一彦師などは人気である
- 一般には、佐藤忠志先生、土屋博映先生、西谷昇二先生など私大文系の先生が有名だったが、潮田五郎先生、堀木博禮先生、国広功先生など国立系の実力派講師もいらっしゃった。
- 駿台生に大人気の講師達もいらっしゃった。
以下、駿台関連の講師のみ列挙する。
講師(元・駿台)
- 1999年に駿台から代ゼミに講師が大量移籍した際には週刊誌に記事が上がるほどの大ニュースだった。
- 移籍以外にも、兼任→代ゼミ専任に切り替えた講師も相当数いる。(漆原晃師、小泉祐一郎師(政経)、鈴木清貴師(日本史)など) 当時駿台で人気だった新井和泰師も、兼任とはいえ「秋津大地」名で代ゼミに出講を始めるなど、駿台にとって受難の年だったといえよう。東大合格者数が駿台と代ゼミで肉薄していた年もあった。
- この年は駿台だけでなく、河合塾からも峨家崇先生、浅見尚先生、和田純一先生、土屋文明先生(前年度は河合塾ではなく東進に在籍)、廣田弘永先生など、人気実力講師を多数引き抜いている(船口明先生は翌2000年度に河合塾から移籍)。
- この頃は駿台経営危機が騒がれていた時期でもあり、移籍組の講師の中には、代ゼミの講義で駿台をディスることも多かった。
元講師(現・駿台)
古川暁師、竹中太郎師、戸澤全崇師、馬場純平師、太庸吉師、船岡富有子師、古舘克洋師、水野卓師、
石川博也師、永曽仙夫師、小野敦師、小寺智也師、大沢隆(佐々木隆宏)師、亀田隆師、唐沢治師、谷周樹師、森茂樹師、安田亨師、
など
元講師(元・駿台)
土師政雄師、今野和浩師(現・数専フォーラム)、西岡康夫師、真下雅浩師
石井秀夫師
出版部門
- 代々木ライブラリー
- 講師の個性を前面に押し出した書籍が多い。
- 代ゼミショック以降は規模を縮小している。
- 物理の為近和彦先生の三部作は改題されて生き残っている。
ーー
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