斎藤資晴

Last-modified: Sun, 25 Feb 2024 01:57:23 JST (253d)
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斎藤資晴(さいとう もとはる)は、駿台予備学校英語科専任講師。札幌校校長3号館,自由が丘校,吉祥寺校,横浜校,札幌校,名古屋校に出講。

経歴 Edit

  • 1959年2月14日、東京生まれ。
  • 上智大学外国語学部英語学科卒業。
  • 上智大学大学院外国語学研究科修士課程(言語学専攻)修了。
    • 文学修士(上智大学)。
    • 修士論文「日本の学生による英語の関係詞節の習得」

授業 Edit

  • 人気講師の一人。共通テストのサテネット講座から季節講習東大英語まで担当している。
  • 通期では、特に構文の授業に定評がある。駿台らしい構文主義に基づく精読をされ、1年間英語構文Sの授業を受ければ、入試問題で和訳できないものはまず無くなるといって良いだろう。
  • 東大リスニングは独擅場。全体的にリスニング講座の受け持ちが多い。
  • そこが知りたい英文法など初学者向けの講座も持っており、様々なレベル、分野を担当している。
  • 構文の授業では、難しい文を非常に解りやすく解説し、華麗な和訳を提示する。その訳の鮮やかさはなかなか真似できるものではない。
  • 板書はあまり量は多くなく、口頭説明に加え適宜英文などを黒板に書くタイプ。また、プリントも配布する。プリントは良くまとまっていて見やすい。
  • 一部には、授業が平易で、たまに眠くなるという声も聞かれる。
    • なお、寝ている生徒は横目で確認するのみで、起こしたり注意したりはしない。
  • 英語科講師の例に漏れず雑談を多くしてくれ、その内容も非常に面白い。
  • 授業中に用いる比喩表現は、思わず吹き出してしまうようなものが多い。その割には生徒の反応が薄いのはやはり催眠効果があるからだろうか。
  • 英文解釈の際は、英文の言わんとしていることを臨場感溢れる日本語で紐解いたり、英文に関連した具体例を引用して理解を助けたりする。どちらもとても分かりやすく、師の授業の見所の1つであろう。特に、東大英語の第5問の解説は眼を見張るものがある。
  • 質問対応はとても丁寧。気さくな人柄で優しく答えてくれる。
    • 2018年度まで担当していた横浜校の「高3スーパーα東大英語」の授業では、授業後に教室に遅くまで残り、質問に応じてくださるほどであった。英作文の添削なども細かく見てくださる。
    • ただ、たびたびマイクを切り忘れるため、廊下での質問対応が教室に筒抜けになる。
    • ある時には、テスト問題を配った後講師室に戻る際にマイクを切り忘れ、テスト演習中なのに講師室の雑談が教室に響き渡ることもあった。
    • また、高卒授業の場合、他の校舎へ移動するため放課後の質問の際は早く行かないとお帰りになってしまうこともあるので要注意。

担当授業 Edit

通期

オンデマンド

人物 Edit

  • 愛称は「もとはる」。
  • 伊藤和夫主任講師の愛弟子であり、正統的な後継者である。
  • 世代交代のためか3号館や上位講座の担当が年々減少し、首都圏以外の出講が増えている。
  • 駿台で35年以上教鞭をとるベテラン講師であるが、市谷校舎では一度も教えたことがない。
    • 駿台に入ったばかりの頃、伊藤和夫師から、「君はまだ若いから市谷では早いだろう。」(当時は30才近くの生徒もいたが師は25だった)と言われて、その後、教務で尾ひれがついて、結果市谷校舎に出講したことはないとのこと。本人曰く「斎藤は市谷に出ない、斎藤は市谷が嫌い、斎藤は市谷を嫌がってる、斎藤だけは市谷に出してはいけない、と積み重なって一回もないね。」。
  • 木村師などと共に北大の青本も執筆し、講習の北大英語も担当している。
  • 若い頃のパンフレットの写真と現在のパンフレットの写真と比べて、現在のほうがスリムで爽やかになっている稀有な講師。
  • 趣味はランニング。
    • 札幌に教えにいくときは、たくさんの荷物を持っていくがすべてランニング関係のもの。教材は校舎に行けばあるという理由で持っていかないらしい。
    • あざみ野校横浜校の移動をランニングで行なっている。シャワーでもあるのだろうか。
    • インスタグラムをやられており、ランの記録があげられている。
  • 過去に日米野球で通訳を担当したこともある。
  • ソフトバンクのアメリカ進出時に通訳・渉外を行なっていた様子。
  • 学生時代の同時通訳士のアルバイトの際、「国際非核(ヒカク)会議」だと電話で聞き打ち合わせをしなかったところ、当日現場に行ったら「国際皮革(ヒカク)会議」であったためさっぱり理解できず、適当に通訳したらしい。
  • 若かりし頃、発音が流麗で日本人離れしてるので、飲み会で酔った上司に「こいつの英語は日本人としてのアイデンティティを感じさせない。こんな奴にリスニングをやらせてはいけない。」と言われたらしい。その後、話に尾ひれがついて、なかなかリスニングの授業が回ってこなかったとのこと。今では季節講習東大英語Ⅲ(リスニング)などを持っておられる。本人曰く「斎藤にリスニングをやらせない、斎藤はリスニングをやらない、斎藤はリスニングが嫌い、と積み重なって全然回ってこなかったね」
  • 福沢稔之師曰く、奥さんは超美人だそう。ただし、ミスソフィアだというのはガセ。
  • 車好きの同僚を長年冷ややかな目で見ていたが、結婚後に自動車免許をとったところ自分もはまってしまった。
    • 免許をとった瞬間に車がないと嫌だなと思い、教習所初日にディーラーに車を買いに行って店員に呆れられたらしい。
    • まだ開校数年の横浜校の下に停めたところ、駐車禁止を取られてしまったそうだ。
  • 生まれたての子供に棒を握らせ、ぶら下がらせたことがある。
  • 子供に、子供が色に対し恐怖を抱くかを調べるため、奥さんがいない隙にレストランで熱いオレンジのオシボリを触らせたことがある。結果として子供はオレンジに恐怖心を持ち、道路のトンネルでオレンジのランプを見て泣き叫ぶようになった。
  • また、子供が英語をしゃべるかどうか試したくて、まだ赤ちゃんの時に子供の口を無理やり動かして英語を教え込もうとしたらしい。
  • 母親のしつこいほどの忠告のおかげで年金支払いの領収書をすべて保管しておき、それによって「消えた年金」問題の時も事なきを得た。
  • 日本史田部圭史郎師曰く、受験では一橋大学に受かっていたらしい。
  • プロレスが好きらしい。
  • ポケモンGOをやっている
  • 若い頃起業を2回試みた。1回目は大学3年の時、母と子の英会話教室を始めるも、失敗。2回目は修士論文を書いている時、やはり英会話教室を開こうとした。しかし、借りたビルの一室の隣が新興宗教の部屋で、太鼓の音や修行の叫び声などが聞こえてきて、教室はめちゃくちゃになったので失敗したらしい。
  • ガジェット好きのよう。
    • 武富師曰く、「(新型iPhoneについて)まず8を買って、それ売ってからX買おうかなぁ、とか言ってんですよ、意味わからないですよ」
    • 時折雑談でスティーブ・ジョブズや孫正義の戦略などについて語る。家庭用PCの登場から回線の変遷などを授業中ずっと話していたこともあった。
    • 高3スーパーα英語総合の1コマ目に実施するVocabulary Builderでは確認のためにスマホを使用している
  • 隠れ動物園オタクらしい。
  • ショートスリーパーである。睡眠時間は2~3時間なのだとか。
    • 多田師「それでいて42.195kmとか走ってるんだからバケモノだよ」
    • 学生時代に担任から「四当五落(四時間の睡眠なら合格するが、五時間も寝てしまったら落ちる、という意)」と言われ続けたことが原因かもしれないと仰っている。
  • 師ほどののんきな(自称しておられた)人物でも、受験前の秋になると精神を病まれていたらしい。
    • 浪人時代に、気分転換として新宿の映画館に行ったとき、大学生料金より安い高校生料金で入ろうとすると、受付のババアに「大学生料金を払ってください」と言われ、ムキになって「だからその大学に入れなかったんでしょうが!」と返したところ、周囲に全て聞こえており恥ずかしくなってその場を走って逃げたというエピソードを、「浪人時代は奇行に走ることもあります」と言って紹介していた。
    • 赤本にドライバーを突き立てたりもしたのだとか(当然刺さるわけもないのだが)。
    • 師も浪人経験があること、また師の温厚な人柄も相まって、浪人生のクラスでは、時期を見計らって、たびたび浪人時代の話をされたり、生徒を元気づけてくださる。この種の話はとても心温まる。
  • 駿台に採用される際の模擬授業にて、伊藤和夫師の授業を例文から口調から何から何まで真似したところ、伊藤和夫師が「落とせるわけないだろ」と笑って合格にしたとか。(大島師談)
  • 一時期ゴルフにハマっていた時期があり、プロゴルファーを目指していたらしい。駿台の空き時間で神宮へ行って練習していたものの授業に遅れかけ、えらく教務から怒られたそう。
  • 師は過去に旺文社の大学受験ラジオ講座(通称「ラ講」)に出演していたようで、YouTubeには1993年当時の放送を録音したものが上げられている。(2020年1月現在)発音の華麗さは今も昔も変わっていない綺麗なものである
  • 現役時代は四谷校増田良繁師、浪人時代は伊藤和夫師にハマったそう。
    • 特に増田師は上智大志望になったきっかけを作ったらしい。
  • 2021年度までは横浜校校長であった。

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