授業を切る
Last-modified: Sun, 22 Jun 2025 14:42:58 JST (13d)
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- 「授業をサボる」の別称。
- 「ブッチする」「消える」などとも言われる。
- 体調不良や別の用事があるなどの理由による「授業を休む」とは別の概念。
- 多くの生徒は「授業をサボる」と言わず(一種の自己正当化で)「授業を切る」と表現する。
- ちなみに英語で授業をサボるは“cut a class”と言う。
あながち間違ってはいないようだ
- ちなみに英語で授業をサボるは“cut a class”と言う。
- 授業担当の講師が大きく影響し、後期になると切る生徒が多くなる。
- 担当講師が自身に合わないとしてその授業を切り、他の先生のもとにもぐりにいくパターンも見られる。特に基幹テキストや前期の英語入試問題研究Sなど同じ校舎・同じ時間で別の講師の方々が教えている場合などで起こる。
どうしても合わないようであれば、他クラス/他コースのお友達から時間割をおしえてもr…- 実は保護者会資料から所属校舎の他クラスの時間割は余裕でゲットできる。
- 褒められた話ではないが、他の授業に潜るため、早く家に帰りたいからと不純な動機で切る人も少なくない。
- 授業を切った生徒が、クラスメイトに「○○の授業切ってるよ」などという
謎の自慢を始めたあたりから、少しずつ伝染していくように授業中の生徒数が減っていく。これぞ、「赤信号みんなで渡れば怖くない」理論である。 - 今日は寝落ちしそうだから講師に怒られないように帰ろう、などという些細な理由で一度欠席するとその翌週からもサボり癖がついてしまう可能性が極めて高い。缶コーヒーを飲むなりして眠気対策をする事は可能である。最初に自分を甘やかさないのが大切である。
- 先週の授業を休んでしまった上で録画も見ることもある。大半がこの理由である。
- 授業の出席率は講師や担任の評定に関わるので、フロンティアホール等で摘発したり自習室の貸し出しを拒否したりすることもあるが、校舎・年度によって対応は大きく異なる。
- 因みに切る生徒よりも内職や睡眠をする生徒の方を嫌う講師がほとんどである。
- そもそも親にお金を払わしておいて授業を切るのは如何なものかと唱える人もいる。
- 逆に高いお金を払わせておいて切りたくなる授業をする駿台側もどうか、という
傲慢で一般的な意見もある。
- 逆に高いお金を払わせておいて切りたくなる授業をする駿台側もどうか、という
- ロングホームルームを切る人もいる。
- クラスによってはLHRの時間を利用して小テストが行われるが、これを面倒くさがってLHRを切ったり、小テストが終わる時間を見計らって教室に入るような人もいる。
- 切られやすい授業としては以下の傾向がある。
- 在籍コースの中で比較的低難度の授業。
- 例を挙げるなら、共通テスト英語演習、理系コースの共通テスト地歴公民、文系コースの理科基礎、プレミアムサポートコースのICTの授業などである。
- 1時限目の授業。
- 寝坊、だるい、通勤ラッシュが嫌…など理由はさまざまなのだろうが、何故か2限から平然とした面持ちで教室に入ってくる人もいる。
- 5時限目で終了の日の時の5時限目の授業。
- つまり昼休みで帰るor自習室に籠る。
- 受験に使わない科目の授業。
- 例えば、東大・京大以外の理系コースにおける現代文(国立大対策)、精選・現代文、共通テスト現代文など。
- 私文では漢文の授業が後期から受講者数がとみに減っていく。
- 欠席することに特別口出ししない講師の授業。
- 講師の中には、欠席者の名前を逐一チェックする人もいる。
- 同教科を担当する他講師の授業に比べてインパクトに欠けたり速効性が欠けていたりすると感じられてしまう授業。
- どう考えても不当人事のように思われる講師の配当がなされている授業。
- こればかりは個人差である。どうしようもないのである。
- 在籍コースの中で比較的低難度の授業。
- 開講後数週でまだ授業や講師の本質を理解していないうちに「面白くない」「ためにならなそう」等の理由で切る人もいる。
- 気持ち悪い発言をする講師の授業は切られやすい。(飯塚敏夫師談)
- 勉強は積み重ねであり、担当講師のスタンスを理解し、自分のものにするのにも時間がかかる。人にもよるが、少なくとも数週間で講師や授業の本質を見抜けるくらいなら苦労しないのである。教壇に立つ講師は教えるプロであるのだから、まずは授業に出席しよう。どうしても不向きだったら季節講習でその講師の授業を取らなければいいだけのことである。
- 具体的には、夏が終わるまでは授業は切らずに喰らいつく方が良い。夏を越えたあたりから、合格に必要な実力が付いていると模試でわかる科目について、受けるかどうかを整理するとよい。
とはいえ、整理した上でも、切る授業は1,2コマ程度に収まるのが普通である
- 具体的には、夏が終わるまでは授業は切らずに喰らいつく方が良い。夏を越えたあたりから、合格に必要な実力が付いていると模試でわかる科目について、受けるかどうかを整理するとよい。
- 勉強は積み重ねであり、担当講師のスタンスを理解し、自分のものにするのにも時間がかかる。人にもよるが、少なくとも数週間で講師や授業の本質を見抜けるくらいなら苦労しないのである。教壇に立つ講師は教えるプロであるのだから、まずは授業に出席しよう。どうしても不向きだったら季節講習でその講師の授業を取らなければいいだけのことである。
- 「あの師に怒られたorいつも怒るからイヤ…」という理由で切る人もいる。大体の講師は然るべき理由があって叱っているので、一度その理由を自分で考えてみよう。実際、クラス内で講師に怒られていない人がいるのも事実である。
- 次の授業に備えて切った授業が終わるのを教室の外で待機していると、ホームルームなどで同じく授業が終わるのを待機している担任と鉢合わせることがあり微妙な空気になる。
- マーク模試などでコンスタントに点が取れている教科のセンター対策授業などなら大抵の担任は理解を示してくれるが、模試で大した点も取れていないのに授業を切った場合などは、この上なく気まずい。
- 大学生になるとほぼ全ての人が一度は行う。せめて駿台生の間はちょっと我慢しよう。
- 俗に言う、「自主休講」ってやつである。
大学の先生は面白いから、しない方がいいよ
- 俗に言う、「自主休講」ってやつである。
- 帰国子女のため英文法の授業を受ける必要がないからといった理由で英語系の授業を切る人も稀に見られる。このような理由は担任も理解を示してくれるため、事前に相談・報告してから切ろう。
- 何より大事なのは試験本番で自身が切られないことであるのだから、何をするべきかは自分の良心に聞くべきである。
- 自習の方が明らかに効率がいいと感じ、切る人もいる。そういう生徒は理III・京医などに受かっていったりすることが意外とある。
- だが、このタイプの人は「現役時にわずか数点で落ちただけだったため、受験対策にかなり余裕がある」「超人的に要領が良く、他人が真似できない速度と密度で平然と自習できる」という場合がほとんど。凡人が迂闊に真似ると大変なことになるので、こういうタイプの人を見ても「自習の方が効率がいいのか!」と感化されないように。
- 常習的に授業を切り、かつその時間を自習などで有効活用し、その上で模試の成績が良好な者は(授業を切るをかけて)「侍」と呼ばれ尊敬されることもある。一方で常習的に授業を切っているにもかかわらず上記の条件に当てはまらないものは「足軽」と呼ばれ軽蔑される。
- 「自分の勉強時間の確保のため、講師がイマイチな授業は切って、合格に必要な授業だけ出ればよい」と仰る講師もいる(講師自身の予備校経験に基づく場合が多い)。
- ただしこのような講師には、上述の「超人的に要領が良く、他人が真似できない速度と密度で平然と自習できる」タイプが多いことに注意。
- 自分の自習能力を過信している未熟な生徒ほど、このような言葉を真に受けすぎて、合格に必要な授業を切って成績を落としがちである。
- ほとんどの浪人生は「合格に必要なもの」を現役時に見極められなかったからこそ駿台にいるのだから、どんな講師の授業でもとりあえずは謙虚に出席しよう。
- どの授業でも多かれ少なかれ得るものがある。もし切るなら、その時間に授業以上の密度の勉強をしよう。
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