今井宏

Last-modified: Sun, 23 Aug 2020 20:27:12 JST (96d)
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今井宏(いまい ひろし、1958年6月26日-)は、東進ハイスクール英語科講師。

経歴 Edit

  • 1958年6月26日生。
  • 秋田県秋田市出身。
  • 秋田県立秋田高等学校卒業。
  • 駿台お茶の水校午前部文1で一浪。
  • 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
    • 福原ゼミに所属。
  • 1983年、電通入社。
  • 1988年、電通退職。

授業 Edit

  • 退屈させない授業を展開する。
  • 授業の段取りもよく考えられている。
  • 雑談だけでなく、英語の説明自体もどこかユーモラス。
  • 駿台時代は、駿台の構文主義という言葉を自嘲気味に使っていた。
  • 駿台時代は一文一文を丁寧に読み、できる限り返り読みをしないような読み方を教授していた。
    また、現在と同様に音読の重要性を説いていた。
  • 板書はとてもきれい。
  • 雑談(本人がいうところのバカ話)を授業中に必ずはさむ。
    売りに出来るだけの話力ではある。

担当授業 Edit

通期 Edit

  • 英文法研究 池袋校 国文ファイン、私文ファイン 1992年度
  • 入試英文法A 池袋校 国理セレクト、私理セレクト 1992年度
  • 英語長文問題演習A
    • お茶の水3号館 東大文系スーパー 1993年度後期
      • 退職した入不二基義師の代講として後期の数回、担当。
  • 教材不明

講習 Edit

特設単科講座 Edit

  • 「ENGLISH ☆ FARM」
    • 英字新聞の社説1本を50分で読み切る企画は、「和訳なら自力でできる」という優秀な諸君には大好評だった。(本人ブログより)

人物 Edit

  • 日本で最も有名な予備校英語講師のうちの一人と言えるだろう。
    • 現在は、東進の人気講師。東進では特に基礎クラスで人気である。
      • 名前を知らない人でも、CMで必ず出てくる髭面の坊主と言われれば一発でわかるはず。
    • 電通退職後、三大予備校を始め無数の予備校・塾を渡り歩くという相当に流浪の人生を送っている。
      • 電通では入社6年目に制作部門を外されたのをきっかけとして退社したそう。
  • 授業内容から性格にいたるまで毀誉褒貶相半ばする講師である。
    • なお、言われっぱなしではなく、本人も毒を相当吐き、自身を卑下することも多い。
      • 「他人にやり返したり、周りを陥れたりしてもかえって損する」という内容の文章を自ら扱った際に、授業内で「皆さん25になるまでには、まあ普通は50ぐらいで気づくだろうが、やり返さない人間になりましょう。私も昔したことがあるので、責められないが。」というような感じのことを話されていた。
  • 下記にもあるようにブログを開設していて、その中でときおり伊藤和夫について尊敬する旨を表明している。氏の東進での講座名も、伊藤和夫英文解釈教室からとったものであろう。といっても、授業内容にはあまり伊藤和夫の影響は感じられない。
  • どちらかと言うと一匹狼タイプであり、「職場に友達は要らない」がポリシーのようで、職場の同僚(特に英語科講師)とは距離感を保って接している。
    • 一般企業勤務の社会人を経て予備校講師になったため、所謂学校生活から出た事のない英語講師とは基本的に価値観や話が合わないとのこと。他教科講師はその限りではないとのこと。
    • その割に、奥井師をはじめとする首脳講師陣とのエピソードには事欠かず、限られた在職期間にこれらの人物にとり入る世渡りの巧さが伺われる。
  • 師は自分のビジュアルを「里芋」、「クマ」などと例えており、割と毒舌である。
  • 子供の頃はラジオで秋田と海をへだてたロシアの電波を拾い聞きしていた。
  • 某師が贅沢な食事を毎回アップしている今井氏のブログをよみ「駿台では全然人気なかったのに」と嘆いていたらしい。
    • もっとも、駿台在籍時はお茶の水校での出講数が限られていたものの、他複数の校舎では通年でオリジナルの特設単科を2講座持ち、締切講座にもなっていたため、かなりの人気講師だった。
    • 実際、大宮校池袋校では蒲生師とともに下位クラスでも人気があって、他の講師と比べ欠席率が非常に低かった。切った人は少なかった。
  • 太庸吉師や最首悟師、坂間勇師、英語科では奥井潔師、鈴木長十師、伊藤和夫師、社会科の大岡俊明師のことも尊敬していると発言。ここらへんのことは下記ブログに詳しい。
  • 駿台講師の頃、奥井潔師、大島師、太師との会食の席で、多忙な今井師を見た奥井師は「君は痩せている。君のメッチエ*1とは何か?」と叱責された。その時、要領を得ないことを言ってしまって、怒った奥井師が会食を中座したことエピソードがブログで書かれている。
    • その後、代ゼミに移籍後も人気講師で多忙であったため、奥井師に叱責された「痩せた」授業をしてしまったと省みている。事実上、師のパラグラフリーディングは「人気優先で中身がない」ことを認めたといえる。
    • 高校英語研究』1995年1月号(研究社)の「英文速読の方法序説」という特集記事は、伊藤和夫師のみならず大田博司師までも激怒させた(本人のブログより)。
  • 駿台に在籍していた頃は、SFCの青本の解説者をやっていたことある。
  • 1997年度に駿台から代々木ゼミナールに移籍した際、同時期に代ゼミから駿台に移籍した森茂樹師とのトレード説もあった。
    • が、科目が違うのでネタであろう。
  • 代ゼミ移籍直後に、富田一彦・西谷昇ニ・西きょうじ・木原太郎各先生(当時の代ゼミ四天王)と共に、BIG5と呼ばれ、いきなり「総合英語」「基礎強化英語」の単科2講座を任された(本人のブログより)。
    • 代ゼミ時代は代々木本校、横浜校大宮校に出講。初年度はハイレベル私大クラスのみサテライン担当だったが、翌年からこれに加えて東大クラス、早慶クラスのサテラインを担当。さらに夏期講習では富田一彦師、西きょうじ師と並んで東大英語を担当するなど大活躍だった。また、それまで佐藤ヒロシ師の独壇場だった「早大英語」の単科を佐藤師と並んで開講し、代ゼミの早大英語=今井師、というイメージを作った。通年の単科ゼミ、講習会も締切を連発していた。
  • 代ゼミ時代は、パラグラフ・リーディングをかなり推していた。
    • 師本人は代ゼミで初めてパラグラフ・リーディングを持ち込んだかのようにおっしゃっているが、実際には宮尾瑛祥(宮尾慈良)先生が先駆的に取り入れている。
    • 東進ではパラグラフ・リーディングを必要とするほどの英文は出題されなくなったと言って、パラグラフ・リーディングについては一切取り上げなくなった。
    • その方法論も一般的なパラグラフリーディングとはかなり異質なもので、段落の第一文目以外はよみとばすよう指導したりしていた。
    • ブログでは、パラグラフ・リーディングを止めた理由について言及しており、確かに過激な手法だったので、受講生も多くついた一方で敵も多く作ってしまった、方法論をマスターできていた生徒は少なかったと反省している。ただ、当時は予備校バブル末期で様々な読解法が乱立していた時代である。
    • 師の説くパラグラフ・リーディングについては駿台でも代ゼミでも批判がかなりあった。
    • 2020年度、東進で長く封印していたパラグラフ・リーディングの講座を復活させた。
  • 東進の授業にて、駿台を『戦術オタクで歩兵はヒョロヒョロ』、Z会を『歩兵は頑張るけど無策』と評した。
    • 師は東進の授業や自身のブログで駿台のことを『どうすんだい』と呼ぶ。『駿台行ってどうすんだい?』という師の持ちネタの一つである。

外部リンク Edit

  • ブログ「風吹かば倒るの記」を開設している。

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*1 メティエ:技巧や手腕、手先を使う職業といった意