山口紹

Last-modified: Sat, 23 Mar 2024 07:58:50 JST (226d)
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山口紹(やまぐち たすく)は、元駿台予備学校英語科講師。2020年度引退。2号館,3号館,市谷校舎,大宮校に出講していた。

経歴 Edit

  • 1947年2月18日生まれ。
  • 同志社中学校卒業。
  • 同志社高等学校卒業。
  • 神戸大学理学部物理学科中退。
  • 慶應義塾大学経済学部卒業。
  • ケンブリッジに留学。

授業 Edit

  • 授業展開は、最初の30〜45分で自身のプリント配布&説明、残りの20〜5分でテキストの解説を行った。話す内容は全てプリントにより詳しく記されていた。口頭での説明はプリントの要点が中心。テキストの解説では、その単元で扱うべき文法事項以外のことは解説に書かれていないことがあり口頭のみの解説となった。
    • プリントの内容を配られた瞬間から一通り雑談が終わるまでの間に目を通しておくと解説の効果が高かった。しかし、師は内職を大変嫌うため、プリントばかりに目がいってると寂しそうな顔をした。師の一見雑談のような話もメモしながら時々師の方を向いてあげよう。
  • プリントを配布しての授業だった。
    • テキストの模範解答・関連する問題の解答解説・知っておくとよい文法語法の解説など情報豊富なプリントだった。英文の成り立ち、背景、学説などを踏まえ、受験生ならばどう解答すべきかという指針を教えてくれたり、良問の演習、基本項目のチェックなど、多岐に渡る充実した内容であった。
    • 但し、たまに高度な事も含まれてたり、苦手な人は解説が不十分だと感じる事もあるかもしれなかった。その点は質問に行けば、個人のレベルに合わせ丁寧に教えてくれた。
    • プリントの英文は本人か田上芳彦師、もしくはトム・ギル氏(明治学院大学教授で、師の40年来の盟友らしい。師は教授のことを授業中何度もべた褒めした。ギル教授の家族にもネイティブとしての意見を訊くことがあるらしい)または他のネイティブの方が作っているため、本人がプリントを作る時の誤植がなければ、英文に間違ったところはない。もし誤植などがあるとわざわざプリントを作って訂正・配布してくれた。(板書にミスがあっても、プリントを見れば正しいことが多いので、生徒側も空気を読むべきかと思う)
  • 「書くための英文法」と題して、通常とは異なる視点から文法・語法について話して下さった。独特の用語も時折見られた。
    • 極端な話、プリントさえあればテキストに関しては授業にでる必要が無いと感じたかもしれない(そのためか、クラスによっては授業を切る人が多い)が、その分テキストには直接関係ないが、英語の理解を深めてくれる話をたくさんしてくれたので授業は有益。大島師のスタイルに似ていた。というより、講師歴や過去の駿台の伝説講師たちの系譜を考えると、影響を受けて似たスタイルになったのはむしろ……
      • (プリントに模範解答などが全部のっているので授業に出る意味があるのかという話を受けて)
        「その分、せっかく私の授業に出て下さっているのですから、授業でしか教えられない事を提供したいと思います。」
    • 大宮校LAと2号館LEでは、文系ゆえに言語学者や英語教師になる人がいる可能性があるので、受験を超えた、言語学的な話などのより深い話もした。
    • しかしそのせいでテキストはなかなか進まない。その分、予習がしやすいという副次効果もあった。
      • loveの話は前期だけでも何回しただろうか…
    • また、歳なのか、丁寧に念を押しているのかは不明だが、同じ話を繰り返すことが多いのも、テキストがすすまない理由。
  • 直前期は師の模範解答を丸暗記することを勧めた。
  • 師の授業では、内職は厳禁。
    • 見つけた場合、直接注意された。
    • 内職とは違うが、授業中に辞書を引くことも「意味が無い」として直接注意された。
      • ちなみにこの生徒は最前列で30分近く辞書を引いていた。注意されるのは当然のことである。
    • 師に限らず授業中に辞書を引くことに不満を持つ講師は多い。授業中は集中して話を聞こう。
  • 授業中の睡眠に関しては寛容であった。
    • 本人曰く「僕は最近寝付きが悪くなって来たから、寝ている人を見ても羨ましいとしか思わない。」とのこと。お茶目である。
  • 長期休暇に入る際などには自費で作成した英作文の問題集(解答解説も貰える。希望者には添削も可)を配布してくださった。
    • 夏前には古典的英作文を集めた問題集を、冬休み前には主要大学直近3年分の過去問から選りすぐった問題集を配ってくれた。解答も配布してくれて、なおかつ添削もしてくれた。
    • 非常に高度な問題やテーマを素材としており、かなりの難易度である。難しいと感じた場合は使わなくても良いと師はおっしゃるが、良問揃いのため、コツコツ取り組むことをお勧めする。
    • ちなみに問題は夏前の配布だが、解答は夏明け。師自身も夏期期間はやらずに、後期以降、夏にやるのであれば最終週にやるべきと仰っていた。解答配布は夏明けなのでむろん夏期期間の添削も受け付けていなかった。
  • 市谷ではスーパーコースの全クラス和文英訳Sを受けもっていた。
    • そのため、市谷では英作文指導についての全責任を負っている自負があり、市谷で配られる医系添削などには不満を持っていた。(年のせいもあるのか、この点に関してはやや頑固とも言えた。)
    • なお2018年度はSAクラスの初回授業に20分遅刻し、秋頃には自らの補講に遅刻して補講補講を設定した上、最終講を休講にしてさらにそれを田上師の代講とするという快挙を成し遂げた。歳も歳だけに心配である。
    • 2020年度から、勝田師が担当することになった。
  • 添削を気軽にひきうけてくれた。
    • 校舎にいる時はいつでも添削をお願いできた。担当教材・過去問ならいつでも添削してくれた。
    • 例えば、大宮校なら1,2限にLA,SAの授業を終えた後、20:00ぐらいまで校舎に残って添削してくれていた。
    • さらに、長期休暇で授業のないときに校舎に来て、ボランティアで添削をしてくれた。良心的な講師であった。
      • 師の都合にもよるが、前期後期終了後のそれぞれ1週間と直前Ⅱ期の約1ヶ月間、質問と添削のために来校してくださることがあった。
      • 大島師曰く、「タスクは生徒の英作文を見るのが一番の楽しみだって言うんだよ。つまり講師として授業するのは世を忍ぶ仮の姿なんですね。」とのこと。やはり辛抱強く生徒一人一人に教えてこそ英作文を教えられるという信念がおありのようだった。
    • ただし、模試などの添削はポリシーがあるらしく、一切受け付けなかった。
      • 師曰く「模試や予想問題をやるよりも、過去問を徹底的に研究する方がはるかに大事。」
    • 添削は、勤務時間外のボランティアで承けてくださっているので、そのことに留意するべきである。
      • 講習期間中の添削も完全なボランティアであった。
      • 最低限のマナーとして、そのボランティアを当然のことと思っているような態度をとったり、著しく礼儀を欠く言動をしたりしないように心がけるべきである。
    • 添削は、以下のルール(過去に掲示されていたものから抜粋)

質問対応と添削の基本ルール Edit

  • 師の授業を受講している学生に限る。
  • 質問内容は以下の5種類に限る:
    • 和文英訳Sのテキスト
    • 授業で配付されるプリント
    • 師が作成して配付してくださった教材(問題集)
    • 受験する大学の過去問(師が作成した解答がある過去問)(必ず師の解答を一読してから行く)
    • 一般的な英語の質問
    • それ以外の問題、たとえば他のテキストや模試の添削などは断られた。
    • 某師曰く、ちょっと前に山口師に英単語の意味を聞いた生徒がいたらしい。当然、自分で調べろと突っ返したらしいが。
  • 時間はひとり15分程度。問題の分量と質や、生徒のレベル、混み具合にもよるが、上限の目安は以下のとおり:
    • 和文英訳Sのテキスト……1課分
    • プリントの問題……1週間に配付される程度
    • 師が作成して配付して下さった教材……1〜2問 (字数に応じて)
    • 過去問……1〜2問 (字数に応じて)
    • 空いていれば、これらのうち2つ程度までなら見ていただけることもある。
    • 一度に大量の添削や質問をお願いすると、先生もお困りになることがあるし、時間的制約から説明が簡易的なものだけになり生徒側にとっても良いことがないので、慎むべきである。
  • 直前Ⅱ期の添削は、原則として最多でも週1回程度が目安である。

担当授業 Edit

  • 晩年は歳の為か講習を持っていなかった。その代わり、講習期間になってから数週間、通期と同じ曜日に出講し、質問・添削を受け付けていた。

通期 Edit

 市谷校舎には、30年以上前の午前部理3α~医系スーパー時代から2019年度まで出講していた。
 1993年度の市谷校舎医系スーパーの和文英訳演習Ⅰは山口紹師ではなく林愼市師が担当した。

  • 難関大英作文
    • 3号館・東大文系スーパー - 2011年度
    • 3号館・東大理系スーパー - 2011年度

講習 Edit

  • 『難関大英作文特講・精選』 夏期、冬期 2013-2015?
    • 廃講後は師が通期で教えている生徒にのみ配布されるテキストにその名残が見られた。
  • 1990年代末ごろには、講習会では高橋善昭師と並んで『東大英語(英作文)』を担当していた。(高橋師は読解分野)

人物 Edit

  • かつては和文英訳Sや難関大英作文、東大英語Ⅱ(英作文)東大プレ英語Ⅱ(英作文)などのテキストを執筆していた(和文英訳Sと東大英作文の後任は勝田耕史師、難関大英作文は武富直人師編集の英作文Sに変更)。
  • また東大実戦模試など各種模試や高3スーパーα英語(東大・医系)など様々な模試・テキストの監修や解答速報を担当してきた。
  • 授業でたまに伊藤和夫師との思い出を語ることもあった。
  • 授業や師が執筆した参考書に「派手」さはないが、実力のある者にわかってもらったらいいと思うところがあるように見える。
  • 講師採用試験で、授業が地味だという理由でおとされかけたところを、伊藤和夫師がまったをかけて採用した、といったような噂もある。
  • 珍しく職員や講師などほぼ全ての人に下の名前で呼ばれる講師。
    • 英語科に山口師は多数存在するからでもあるが。
  • 高校卒業後、神戸大学理学部物理学科を中退して一年おいて慶応の経済に入りなおして三菱系の会社に入り、いろいろあってケンブリッジに留学、フランスにも留学し、帰ってきてプーになって伊藤和夫に拾われたとおっしゃっていた。予備校講師にありがちな、高学歴な流れ者タイプである。
    • 当時の駿台では他予備校に先駆けて、講師採用試験を実施していたが、伊藤和夫師が英作文の実力を高く評価して採用したよう。
    • 大島師曰く、山口師は公募採用の一期目に採用されたそう。なお、大島師は二期目に試験を受けて採用された。
  • 同僚の英語講師大島保彦師と仲が良い。授業にそのエピソードがたびたび出てきた。
    • 大島師とお互いをコケにし合う。「紹の財布はみんなの財布BY大島師」
    • もちろん芝居というか演技であって、本当は仲良しである。
    • 大島師「選択肢に(e):task (=かっこいいタスク)と入れてしまいました。反省してます。」
    • 「悔しいけど大島の授業って面白いでしょ」(2016年度、本人談)
    • お茶の水校2号館のすぐそばにある老舗の三つ星高級ホテル、山の上ホテルには、大島保彦氏とコバタカ氏と3人でよくいっていたらしい。(奢るのはもちろん氏である)
    • このことに関して師は「小林先生は、僕の10倍以上稼いでる筈なのに奢るのは僕なんだよ」と笑いながら仰っていた。
    • たまにプリントで大島師のコメントが掲載されていることがある。
    • 2017年度は火曜日に市谷校舎で顔を合わせる時間帯があった。
    • かつては、授業中に披露するギャグをまとめた「ギャグノート」を作っており、ギャグを披露して受けの良い時は丸を、悪かったら大島師に相談してギャグを考えてもらっていたりしていた。
  • 田上芳彦師とも仲が良いらしい。プリントでよく田上師の模範解答例が載っていた。
  • 大原正幸師はレジェンドと呼んで慕っている。
    • 「以前ね、紹先生に『大原君、カズオ・イシグロの日本名を知っているかね?』と聞かれたからさ。イシグロカズオですかって答えたら『その通りだ!』って言ってそのまま行っちゃったんだよね。」
  • 船岡富有子師は教え子とのこと(船岡師談)。船岡師は、山口師の英作文能力を絶賛していて、かつては池袋校高3スーパーα医系英語を一緒に担当した。その時の合格実績が凄すぎて、翌年からは市谷校舎での開講になった。このことが船岡師が医系英語のスペシャリストとしての足掛かりになったそう(山口師談)。
  • 久保田師も教え子である。とても頑固で負けず嫌いである師が、「英作文を書いた時にもしかしたら久保田先生には負けるかもしれない。かつての教え子だからね」とおっしゃっていた
    • ちなみに久保田師もたびたび授業中に山口師のことをネタにする。
  • 小林隆章師や坂井孝好師を自らの「盟友」と呼んでいる。
    • これに関して、山口師と小林師が同時に出講している2号館京大クラス市谷校舎では、授業後に山口師が板書ミスなどを発見すると、訂正部分を小林師に解説をさせるという荒業をたまに行うことがある。コバタカがジョークを交えながら英作文を解説する姿に教室が大いに盛り上がるのは言うまでもない。
    • 上野の焼き肉店で小林隆章師と石川博也師に焼き肉を奢ったとのこと(2015年)。余談だが、その際石川師が「スペイン語なら僕のほうができるかもしれないですね」と言い、負けず嫌いの山口師は「二年後にバトルしよう」と言い返した。決闘が行われるかどうかは不明だが、山口師らしさを垣間見れるワンシーンである。(ちなみに石川師は二年間、南米に滞在したことがあり、スペイン語は堪能だとか。)
  • 雲幸一郎師をはじめ、小林師以外の数学科講師とも仲がいい人が多い。
  • 勝田耕史師(現在の和文英訳Sのテキスト作成者)との関係は、仲が悪いわけでもなく、かといって仲が良いわけでもないという関係らしい。下記のように軽口をたたける程度には仲が良いらしい(仲が悪ければこうはいえないだろう)。実力は認めている模様。
    • 「勝田にしては上出来だ・・・」(テキストの問題について)
    • 「(勝田の実力は認めるが)まだまだ俺には到底及ばない。」
  • 市谷校舎には、30年以上前の午前部理3α~医系スーパー時代から2019年度まで出講していた。
    • 他には数学科小林隆章師くらいである。
    • (1992年度、1993年度は市谷校舎医系スーパーには小林隆章師は出講していない。尚、1992年度、1993年度はお茶の水校の東大理系スーパー、難関国公立大理系セレクト、新宿校の東大理系スーパー、東工大セレクトには出講していた。)
    • 1993年度は市谷校舎医系スーパーの和文英訳演習Ⅰは山口紹師ではなく林愼市師が担当した。
      • 尚、1993年度はお茶の水3号館の東大文系スーパーの和文英訳演習Ⅰを担当していた。
  • 晩年は高卒クラスのみ担当し講習にも出講しなかった。
    • 近年は講習会では講座をもっていないため、講習パンフレットの講師紹介には一切写真や名前が載せられていなかった(高卒クラスの入学案内には掲載されていた)。
    • また、現役フロンティアの担当もないため、事実上現役生が教わる機会のない講師であった。そのため、大島師が講習会で師のことをネタにしても分からないはずであるであった。
  • 近年は、もはや授業が大島先生のような雑談メインとなっていた。とはいっても、師が作ったプリントの紹介がほとんどであった。
    • 近年というより昔から雑談は多かった。
    • そのため授業を切る人が多い(だいたい2浪目で去年も師の授業を受けていた人か、帰国子女か、雑談は受験には無意味だと思っている人である)。
    • 面白い話も多く、ほっこりするため、師が授業をしないからといって不人気というわけでは決してなく、好きという人がかなりである。
    • 一見授業になっていないように見えるが、このプリントが恐ろしいほどに神がかっている。つまりは大島師が英作文を教えているように考えてもらえばいいかもしれない。
    • すべての説明が文面化されており、情報量が尋常ではない。また他の講師では考えられないほど質問対応に相当な時間を割いていらっしゃるので、決して手を抜いているなどということはない。むしろ逆である。(おそらくこの作業が過労になってしまっている原因と思われる。)
  • 浦和に住んでいて、独身である。男兄弟も独身らしく(2015年夏現在)
  • 姪がいる。独身で息子・孫がいないからか溺愛している。
    • そのため、姪の夫を「姪だけの祝儀だったら100万円でも1000万円でも渡すけど、夫には缶コーヒー一杯分もあげたくない」というくらい嫌っている(一応「実際に会ってみたら、そんなに嫌な奴じゃなさそうだった」とフォローもいれている)。
  • 本人曰く、怖いもの見たさに自分の名前をたまに検索してしまうらしい。
    • 講師室でこのサイトを見ていることもあった。
  • 声は俳優・声優の津嘉山正種を穏やかにしたかんじに聴こえる。
  • 破産する勢いでマンガを買っているとか、いないとか。
    • 2016年度前期開講前に、キングダム41巻を大人買いした後12回も読み直したらしい。ワンピースやNARUTOは一巻だけ試し読みしたが挫折したらしい。
  • ゴボウとニンジンが嫌い。大島師に対して師はきんぴらごぼうは「悪魔の食物」といった。
  • ネズミが嫌いであるらしく、某ネズミの遊園地には一度も行ったことがないらしい。
  • 英語科講師であるがピコ太郎のPPAPは案外好きらしい。
  • 後期対策講座(直前Ⅲ期)については断っており、国立大前期終了〜翌年の開講までは休む。
  • 授業中、自らの最期を匂わせたネタで笑いをとろうとするが、生徒が反応に困る時がしばしばあった。
    • 2018年度市谷校舎に向かう途中で救急車で運ばれたり、朝起き上がれなくなったりして、田上芳彦師や水島雄一郎師が代講をすることもあった。
    • 2019年度のあるクラスでは、前週の授業ですでに扱っていた課を次週も続けて解説した事がある。上記のように師の授業は雑談が多い上プリントも毎週違うものが配られるので、違和感を覚えた生徒はあまりおらず、とうとう誰も指摘しないまま授業が終了してしまった。師は授業後に気付いたらしく、別の講師によれば講師室で「とても申し訳なさそうにしていた」らしい。とは言いつつも、問題が同じだけで授業内容は新しいことが多かったのは疑問である。
      • ちなみにこの日はいつもより早く目が覚めその分早い電車に乗って来たそうだが、結局眠くなって寝過ごしてしまい、校舎に着いたのが授業開始直前だったために確認を怠ったとのこと。
    • さらに同じクラスでは、師の体調不良で師の授業が1週分休講となったが、翌週には無事に出講されていた。曰く、病院で過労と診断され、処方された精神安定剤を飲んだところ丸1日ぶっ続けで眠り、起きたらすっかり体調が回復していたとの事である。相当気分が良かったのか、師はこの話をしながらマッチョのポーズを取ったり、果ては教壇の上をスキップして動き回り体調回復をアピールするなどし、教室は爆笑の渦に包まれた。
      • 曰く「雲の上を歩いて伊藤和夫先生に会う夢を見た」そうな。臨死体験のような内容の夢である。
    • 年齢のためか、やはり記憶力が衰えてしまっておられるようである。
    • 2019年度後期のとある校舎では、校舎内で倒れられ、救急車で搬送される事態が発生した。睡眠薬を飲んで起きられなくなりこちら側に戻って来られなくなった。午前中は連絡がつかず行方不明になり休講、それでも午後は呂律が回らない中で出講した。
    • 一日呂律が回らず、講師室で急に視界が真っ暗になり帰ろうにも帰れなくなったので教務に頼んで救急車を手配してもらい、東京逓信病院に運ばれたそう。「どうせデタラメな情報が出回ってるんだろうから」とおっしゃっていた。
      • 医者からは脳梗塞の疑いがあると言われ、再三検査をしたが脳梗塞の症状は見られず、結局のところ今回の原因は栄養失調だった。
      • 退院当日に昼飯にマックを食べ、夜にはワインを1本開けたそうだ。また倒れないか心配である。
      • また、運ばれる前日には師がレッドブルを飲もうとしたので吉田師が慌てて止められた。代わりにブドウ糖を渡したらしい。次の日に飲んでしまったのであろうか
      • ちなみに東京逓信病院での担当医が駿台の教え子だったらしい。
    • 代講は市谷校舎では、勝田師、叶野師、山口裕介師が分担して行うこととなった。
      • 残念なことではあるが,ご年齢を考えれば致し方ないと言わざるを得ないであろう。くれぐれも健康にご留意頂き,一日でも長生きしてほしいものである。
      • 致し方ないことではあるが、市谷校舎では代講補講の際、講師の手配が間に合わなかったのか2クラス合同授業が決まった。なお出席率は非常に低く、クラスによっては合わせても数人であった。
      • 1992年度は、体調不良のため市谷校舎の医系スーパー、アカデミー校の早慶大文系スーパーや大宮校の後期の授業は代講になった。
    • 2020年度からは、移動負担を減らすため、長年担当してきた2号館京大コースと市谷校舎の出講を取りやめ、大宮校のみの出講になったが、それも結局代講となった。
  • 2019年度も冬期直前期間は出講して質問対応していただけるそう。期日は各校舎出講曜日の「暖かくなってから暗くなるまで」。
  • 赤本に解答は付いていない」等しばしば赤本の解答を批判している。なお、2017年に死去した弟が赤本執筆者だったため、最近は赤本の批判をする度に少し胸が痛むのだとか。
  • 英単語帳を使った単語学習に批判的で、長文問題などの中に出てきた単語を覚えていく方が学習効果が高いと述べている。
    • 「単語帳なんかで覚えられたら苦労はしない。」
    • 半分冗談で「単語帳は睡眠薬代わりに使うものです」と述べたことも。単語帳を買うお金や使う時間でパチンコでもした方がマシだと述べたこともある
    • 「帰りの電車で座れたら単語帳開いてみてください。すぐ寝られますよ。」
  • 講師室では他の科目の若手講師を捕まえては伊藤和夫師について一方的に語っているらしい。また、給料が少なくなってきていることを嘆いて若手講師に昔話自慢話をしているらしいが、今でもその若手講師の何倍もの給料を貰っているのだとか。
    • 授業準備と言いながら、ずっと口が動いているらしい。

著作 Edit

  • 英検準1級合格パック リスニング・2次面接編 (短期合格ならおまかせ)(山口紹、トムギル研究社

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