伊藤和夫

Last-modified: Wed, 14 Nov 2018 11:31:21 JST (5d)

伊藤和夫(いとう かずお、1927年 - 1997年1月21日)は、元駿台予備学校英語科講師、同主任。学校法人駿河台学園理事、駿河台大学理事、客員教授。

経歴 Edit

  • 1927年 長野県生まれ
  • 1944年、旧制東京府立第五中学校卒業。(現、東京都立小石川中等教育学校。)
  • 同年、旧制第一高等学校(新制東京大学教養学部の前身校の一つ)を受験。
  • 1953年、東京大学文学部西洋哲学科卒業。
    • 卒業論文はスピノザの「エチカ」。
  • 1954年、横浜の山手英学院で英語科講師として勤務。
  • 1966年4月、奥井潔師の紹介で駿台予備学校英語科へ移籍。以後、専任講師として1990年代中盤まで勤務。英語科主任、学校法人駿河台学園理事などを歴任。
  • 1997年、御茶ノ水の杏雲堂病院で死去。

授業 Edit

  • 駿台英語科のみならず駿台の基盤を作った講師である。「受験英語の神様」「受験英語界の巨人」「受験英語のキング・カズ」と呼ばれることもある。
    • 例えば講義資料を作成し全国で一定レベル以上の質の講義を行えるようにしたなど、今なお駿台のシステムとして残っているものも多い。
  • 基本英文700選』、『英文解釈教室』、『ビジュアル英文解釈』 『新・英文法頻出問題演習』をはじめおびただしい数の英語参考書を執筆し、今でも駿台内外でよく知られている。
    • なかでも、『英文解釈教室』は、伊藤和夫の受験英語業界および駿台内における地位を不動のものにしたのはもちろん、東大はじめ難関大志望者向けの予備校として駿台が現在の地位を確立する上でも一定の役割をはたした歴史的著作である。
    • また、「『基本英文700選』を暗記すれば、わからない英文はなくなる」とも1970年代から1980年代の受験界では言われていた。
    • 1980年代後半の受験生の姿を描いた『七帝柔道記』には「合格者のほぼ全員が『英文解釈教室』を使っていた」と伊藤和夫の名が実名で登場しており、当時駿台生のみならず広く受験生の間でいかに伊藤が巨大な存在だったかがわかる。
  • 駿台英語科の伝統として今に残る「構文主義」を考案した人物。
    • 構文主義とは、伊藤以前の受験英語教育における和訳法(単語や熟語に日本語をあてはめ、場当たり的に英文法の知識を用いて和訳していくやり方。単語熟語主義とも)と対比する形で、英文法を読解用に体系的に再構築して合理的にひとつひとつの文の構造・骨格を把握していこうとする姿勢、くらいの意味である。
    • ここでいう構文とは「くじら構文」や「so~that構文」などの特定の定型表現の意味ではなく、「文の構造」の意味。
    • 構文主義は駿台はもちろん、他予備校の英語講師や高校の教師のあいだでも広く浸透している。英語教師の大半が当たり前のように構文把握を重視するのは、師の影響といってよいだろう。
    • なお師が駿台関東英語科主任だった時代に駿台関西英語科主任を務めていた表三郎師は、伊藤師の構文主義における内容や表現の把握不足、構文の過度な重視性、パラグラフリーディングの欠如を批判し、それらを修正したポスト構文主義を打ち立てた。
      • もっともこのポスト構文主義においても構文が重要であることは前提であり、批判的ながらも伊藤師の構文主義の影響を受けていることに違いはない。
  • 英文法を英文和訳の際に利用しやすいように体系的に再構築し、「受験生がどう頭を働かせれば、英文の構造を読み解けるのか」を誰でも習得できる形でまとめた。
    • 極力返り読みをしなくてもすむような体系をつくりあげた。「直読直解」を目指していた。
    • 「予測と修正」という考え方(たとえば、文頭に前置詞があったら後続の文はどうなるか予測をたてる、実際によみすすめるうちに予測にあわないことがあったら修正する、といった考え方)を大事にしていた。
      • 夏期講習の「英語構文特講」のテキストを読むと、駿台英語科が今でもこの考え方を大事にしているのがわかる。
    • 品詞分解のような読み方は、ある程度は必要悪として認めていたが、英文の原型が分からなくなるほど文を細切りにすることは、返り読みにつながることもあり、否定的であった。
  • 最晩年にいたるまで入試英語の変化にも敏感で、自身の指導法も絶えずベターな方法を模索していた。
    • 受験英語の変化(長文の増加、出題される英文の内容の変化、記述式から客観式への変化など)にも敏感で、最晩年にいたるまで、たとえば長文に対処するにはどうするかなど、変化への対応を真剣に考えていた。決して、練習すればそのうち読むスピードもあがるからなんとかなる、といった類のことは言わなかった。「伊藤和夫の英語学習法」(駿台文庫)参照。
    • 自身の英文読解の方法も、よりよくするためにはどうすればよいかを常日頃考えていたそうで、そのことは英文解釈教室改定版の前書きやビジュアル英文解釈の「あとがき」などを読んでもよくわかる。
  • 実際の授業は淡々とした眠気をさそうものだったという声が多い。
    • 雑談はほぼ挟まず、抑揚に乏しく終始淡々と授業を進めるので眠気を誘い、また、授業内容も英文解釈教室他の著書と重複することもあり、晩年は後期ともなると教室には空席が目立った。
    • 良く言えば、授業は一切の無駄がなく洗練されており、師のこだわりが凝縮されていたもので、職人肌で完璧主義を感じさせるものがあった、ともいえる。
    • 「物言わぬコンマが雄弁に語っているのであります」など、ウトウトしていると聞き逃してしまうようなレトリックやユーモアをサラリと挟んだりもする。
  • どのクラス・どの校舎でも、同じタイミングで同じ話しをする、という声もよくきかれる。淡々とした機械的授業ということである。
    • なので、その日の進度が終了するとチャイムが鳴る前に授業を終えるが、教室を出るためにドアのノブに手をかけるあたりでチャイムが鳴る、という芸当もできる。
  • 抑揚のまったくない特徴的な喋り方をする。
    • 師の存命中は、大島師がよくまねしていたらしい。
    • クラスに一人は必ず師の物真似が得意な者がいた。「エハァン!」という師の独特な咳払いをいかに上手く適切なところに入れるかが鍵。
  • 英語の発音は完全な日本人英語であった。師自身も自覚しており生まれた時代が悪かったといったようなことを著書の中で述懐している。
    • 例えばWhatを「ウォット」と発音していた。
  • 授業態度が悪いとかなりきつく怒ることも。
  • 思慮の浅い質問を嫌っていた。
    • 教師というよりは、生真面目な作家的な印象で、真面目で勘の鋭い生徒を好んでいた。
  • 和訳に関して、「サッカー」を「蹴鞠」、「テーブル」を「卓」、「キャリアウーマン」を「職業婦人」など、とにかく外来語は何でも日本語に直さなければ模試などでバツにする方針だったと言われており「オープンカフェ」は「道路に突き出たところに卓がある喫茶店」だったとか。
    • しかしこれは有名なネタであって実際は外来語を柔軟に使う場面もあった。
    • 外来語の和訳については英文和訳演習に言及がある。
    • 福崎伍郎師がサスペンダーをしていた時に、「福崎君、そのズボン吊りは疲れないかね?」と訊いてきて、福崎師は「これはズボン吊りではなくて、サスペンダーって言うんですよ。」と答えると、伊藤師はさらに「では、そのサスペンダーというズボン吊りは疲れないのかね?」と訊いてきたという福崎師のネタエピソードがある。

担当授業 Edit

人物 Edit

  • 長い駿台の歴史の中でも、最も有名な講師の一人である。
    • 朝日新聞の「おくやみ」欄(著名人が亡くなった際に載る欄)にでたほどである。
  • 中肉中背で、髪は晩年にいたるまでふさふさで、見た目は著書の冷徹さとは裏腹にかわいらしく見えないこともない。
    • 風貌から、黒板消しの掃除職員と間違える生徒もいた。
    • ビジュアル英文解釈に掲載されている師の似顔絵は実物とそっくりである。
  • 英語教師ではあるが自身は英語を受験科目としては使わなかった。
    • 伊藤師が受験生だったのは太平洋戦争が最も激しかった時期で、旧制高校の入試史上唯一の受験科目から英語が削除された年であった。受験英語に一生を捧げるようになった師ではあるが、自身は入試科目で英語を受験せずに新制東京大学教養学部の前身校に入学したことになる。
  • 駿台に引っ張ってきた奥井師ら少数の優秀な講師と仲が良かったらしい。信頼できる人にしか心を許さないところがあったそうだ。
    • 親友の佐久間信師(成城大学教授)が1988年度前期途中に急死してから、ますます孤独の度合いを深めた。
      • 佐久間師の告別式では伊藤師が弔辞を述べた。
    • 新宿歌舞伎町の奥の飲み屋に秋山仁師とよく飲みに行ったらしい。
    • また、師の授業方針を批判していた表三郎師も、伊藤師の実力については認めており、仲も良かった。
  • 喫煙者であった。質問に行くとまずはタバコをいっぷく吸ってから、「君は授業で何も聴いていなかったのか?」と言いつつも質問に答えていた。
  • 喜怒哀楽が激しかった。
    • 酒を飲んでご機嫌だと箸で茶碗を叩き喜ぶが、会議などで機嫌が悪くボルテージが上がると机をドンドン叩いて怒る。
      • 楽しいはずの酒の席で、職員達にしつこく理不尽な説教を続けて、前述の親友の佐久間信師にヘッドロックを食らい、涙目になったことがある。
    • 斎藤資晴師は、「大学時代には尊敬していた先生が、いざ同僚になってみたらまさかあんなに酒癖の悪いじじいだったなんて思いもしなかったよ。」と回想していた。
      • 会議中に酔い潰れた伊藤師から説教を受けた際、大島師と名前を間違えられたそう。「俺、大島じゃねぇし!」
    • 派手なことは嫌いだが子供っぽいところ(純心)があった。
  • 伊藤和夫師の寄付を元にした「伊藤・有馬記念基金」が設立されており、日本赤十字看護大学の看護学生へ奨学金が支給されている。生前の分を含めると寄付額はおよそ7億円にも及ぶという。
    • 学生から預かったお金なのだから学生にお返ししたい、という思いがあった。
  • ラジオ講座も担当しており、後にテープ教材や参考書にまとめられた。
    • 参考書は最近、復刊された。
    • 「しがらみで仕方なく」と担当することにあまり乗り気でなかったよう。

発言集 Edit

  • 「受講生からの質問が多い授業はベター(better)かワース(worse)。受講生からの質問がない授業はベスト(best)かワースト(worst)。」(飯田康夫師談)
  • 「えっと、このクラスは…」
  • 「これは基本文の~番で履修済み」
  • 「andがでたら、そこで腕を組んで考えろ、とボクは言いたいね。」
  • 「何と何を結ぶandなのか、特にandの前にコンマがあるとき。 andの後にコンマがあるのは諸君の英作文だけ。」
  • 「ボクも英文のペーパーバックはなかなか読めなかったね。途中まで読んで投げ出し、まだ他のを読んで投げ出し、の繰り返し。そしてやっと一冊読めたと思ったらば、また次の本で挫折。諸君もきっとそういう感じになるだろうね。」
  • 「ここの箇所は文頻のここに書いておいたから各自読むように。」
  • 「そこの君、授業中はテープレコーダいじらないように。」
  • 「英文を意味の通る日本語に訳せなくては理解したとは言えない」
  • 「変わり身の速さと視野の広さが英文を読むに当たって重要」
  • 「このthatを接続詞だと思った人は筋がいいんだけれども英語は筋の良し悪しで読めるものではない。thatのあとに主語と動詞が続いて完全な文になることがわかってはじめて『ああ良かった』と安心するんだ」
  • 「(浪人して)君たちは一年遠回りをした。だが、長い人生の中でそれがなんだと僕は言いたい。他人より学び苦しみ悩んだ分君たちは成長したんだ。自信を持って羽ばたいてもらいたい。大学、社会ではこの一年でやったどの問題よりも難しい課題が君たちを待っている。恋に悩み人間関係に悩み仕事に悩むことだろう。そんな時にはこの苦しんだ一年間を必ずや思い出して欲しい。なんてことはないと思えるはずだから。最後になるが2度とここには戻ってくるな。私は君たちの顔は見飽きた。頑張れ!」 (通期最終講義)

著作一覧 Edit

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