福井紳一
Last-modified: Wed, 06 Jan 2021 20:21:22 JST (20d)
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福井紳一(ふくい しんいち )は、駿台予備学校日本史科講師。3号館,大宮校,横浜校,藤沢校に出講。
経歴 
- 1956年5月20日生まれ。
- 藤沢市立湘洋中学校卒業。
- 慶應義塾高等学校卒業。自民党石破茂と同窓である。
- 慶應義塾大学文学部美学美術史学専修卒業。
- 明治大学大学院文学研究科博士前期課程修了。
- 専攻は日本近代思想史。
授業 
- 提供される情報量は膨大だが、暗記を強いるのではなく知識として体系的に理解することを求める授業である。論述に使える決まったフレーズを繰り返し用いる。
- 特に、土地制度や経済史に関する説明は、最終的には歴史的・経済学的な専門用語を使うのだが、日常使う言葉にまで一度落として説明してくれたり、大局的な視点から整理してくれたりして、大変分かりやすい。
- 「歴史を見ることは現在を見ること。社会に対する鋭い目と視線を低くした人間に対する温かい目を養おう」という立場に立脚した、受験のための詰め込みだけではない、考える日本史を講義している。
- 板書を殆どせずテキストに書き込みをさせるスタイルである。板書の際は字こそ癖字で読みづらいものの、とても簡潔で分かりやすく、色使いもかなり考えられている。同じ図を何度も書くため、違う授業で同じ板書となることもしばしば。
- 「テキストは自分で作っていくものだ」と仰る。師の説明をメモしない生徒がいると、手を動かし続けることとおっしゃる。
- 完全に駿台の時間割を無視した授業スタイルを展開する事で知られる。師にとってキリの良い所で休み時間となり、3コマ目では時に2時間以上講義を延長することもある。特に7〜9限の東大文系演習コースや3・4限のクラスの被害が大きい。
- そのため、夏期講習の2コマ目(13:40~16:30)は16:58まで授業をやることもあり、福井師の次のコマに講座をいれるべきではない。(次も師なら問題ない。)同じ時間帯のハイグレード講座よりも授業が終わるのが遅いことがしばしばある。(東大日本史など)
- 18時から授業が始まる場合は22時前くらいに終了するのが恒例で、既に校舎内の他の階は照明が落とされ真っ暗になっている。
職員も内心さっさと終わらせてほしいと思っていることだろう - 講習の夜コマの最終日では、電気が消えているどころか、正門が閉まっていて、裏口からでなければならないことさえある。
- 渡辺幹雄師によれば、ある夏期講習で22:30過ぎまで延長し、新幹線で受講しに来ていた生徒を帰宅難民にさせたことがあるそうである。
- 以前行われていた衛星放送で授業を時間内に収めきれず放送が途中で強制終了してしまったことがある。
- ある夏期講習ではあまりの延長の長さに怒った教務が、冷房ではなく暖房をつけて打ち切らせたという暴挙を働いたことも。
- 朝一じゃないと講師ですら福井師には会えない。(大島師談)
- 大島師は講習期間中は途中入室を嫌うが、福井師の授業が前コマだった場合は、親指をたてて激励してくれる。
- 本来は3,4限が授業のはずなのだが、昼休みはおろか5限開始2分前まで延長したことがある。
50分で授業を終わらせる気がないなら90分の河合に行ったほうがいいのではないだろうか。いや、それでも時間が足りないだろう。- 2次私大演習の期間は返却物の関係で時間通りに終わる。大島師いわく「不服そう。」
- 季節講習の宣伝だけで1コマつかったり、(通年の授業で)受講生同士の自己紹介に1時間まるまるかけたりする一方、生授業では大幅に延長する授業でもオンデマンドでは定められた時間内に説明しきることから察するに、時間通りにおさめようという気があまりないのかもしれない。
- 講習の宣伝にも1コマ分使ってじっくり説明する。独学は考慮せずにあれもこれも取った方が良いと仰る事が多い
- 左翼的な雑談の多さでも有名。詳しくは下記人物を参照。
- とはいえ、人柄同様自らの政治的思想を押し付けることはせず、あくまで自分の頭で考えることが大事だという立場を取っている。師の主張を全て鵜呑みにしてしまっている生徒も見受けられるが、師の仰っている事はあくまで一つの意見だと捉えるべきで、それを信じるか否かはきちんと自分で判断しなければならない。とはいえ毎年福井師の信奉者がクラスに数人現れる。(ふくistと俗に呼ばれている)
- 前期は朝日新聞や東京新聞などの気に入った記事のコピーを両面印刷で配り、読み上げることもある。しかし全く日本史と関係ない話というわけではないので、聞いておくべき。(ヘイトスピーチに関する記事を配ってそれにつながる日朝関係史に触れるなど)
- 論文のネタになることもあり、とりあえず一応は聞いておくべきである。(以前は論文の講師も勤めていた)
- 生徒を前から順番に当てる事もある。
- 気さくな人で質問や添削にも丁寧に応対してくれる。
- 授業で言った内容がそのまま全国模試や東大実戦に出る。だから師の授業を取っていると模試の偏差値は60を優に超えることができる。
担当授業 
通期
- 日本史近現代(3号館-LX+LY,LA,LB、大宮校-LA,LI+LJ、横浜校-LA,LJ+LQ、藤沢校-LA)
- 東大日本史テスト演習(3号館-LX+LY)
- 高3スーパーα日本史(3号館、横浜校)
実戦演習プラス
特設単科講座
オンデマンド
- 日本文化史(古代・中世)(大宮校、横浜校)
- 日本文化史(近世・近現代)(横浜校)
- 日本近世史徹底整理(お茶の水校)
- 日本現代史徹底整理(お茶の水校、大宮校、横浜校、藤沢校)
- 日本史特講Ⅱ(お茶の水校、横浜校)
- 東大日本史(お茶の水校、横浜校)
- 早慶大日本史(Summer Special)(藤沢校)
オンデマンド
- 日本史史料問題対策(大宮校)
- 日本現代史徹底整理(お茶の水校、横浜校)
- 日本文化史(近世・近現代)(藤沢校)
- 日本史特講Ⅰ(お茶の水校)
- 完成!日本戦後史演習(お茶の水校)
- 東大日本史(お茶の水校、横浜校)
- 早慶大日本史(Winter Special)(大宮校、横浜校)
オンデマンド
直前Ⅰ期
直前Ⅱ期
人物 
- かなりの古参講師で、現在の日本史科のまとめ役である。精神的思想的支柱である。
- 若手の頃から、安藤達朗師、注連本直哉師に次ぐ日本史科No.3と目されていた。
- 2004年から東大の青本の解説を執筆されている。
- 高校教諭を辞め、駿台講師になるのを機に明治大学大学院に入学した。
- 高校時代に渋谷のパルコで配られたお酒を友人と飲んだらしい。そして現代の不寛容さを嘆いた。
- 斎藤師と共にショートスリーパーであり、毎日の睡眠時間は三時間程度。
- 大の映画好き。映画の話になると止まらない。
- 大河ドラマの真田丸を録画していたが、溜まりすぎて重くなり全部消したそうな。
- 「天皇神格化はどこかのおとぎの国の話ではなく、たった70年前の日本の姿ですよ」という台詞を授業でも著書でも繰り返し用いる。
- 天皇神格化は勿論現在の象徴天皇の存在もあまり快く思っていないようで、「あの千代田一丁目一番地に住んでるおじいさんが死んだ所で何か世の中が変わりますかー?」とまで発言したこともある。そのおじいさん本人がお気持ち表明された内容を意識して言っているかのようだが、それ以前に仰った事である。
- 在日外国人に対するヘイトスピーチも大嫌い。
- 長年日本の平和を保ってきた憲法を破壊し、日本を戦争国家へと変貌させようとしている黒幕たる存在である(と師は思っている)安倍晋三を親の仇のように憎んでいる。安倍晋三が如何に無知で愚かな政治家であるかを授業中に熱弁する。
- 例:「安倍は満州事変で日本軍は自ら攻め込んでないと言ったんですよ!日本の歴史が何も分かってないという事ですよこれは!」
- しかも凄いのが「安倍が○年○月の○○の取材でこういう発言をした」と事細かに記憶しているのである。
そこまで来るともはや安倍政権のファンである
- しかも凄いのが「安倍が○年○月の○○の取材でこういう発言をした」と事細かに記憶しているのである。
- 2020年に安倍政権は
晴れて退陣したが、現行の菅(スガ)政権は安倍政権の継承を掲げているため、もうしばらくこうした批判は続くと思われる。 - ただ、駿台日本史科の中には安倍晋三に対する犯罪予告まがいの発言までしている講師も存在するが、福井師はそこまでの事は仰っていない。そういった短絡的なバッシングというよりは時の政権の暴挙・時代錯誤性を論理的に批判していたような印象を受ける。
- あくまでも人道主義的な信条が師の左翼的思想の根底にあるのではないかと思われる。
- こういういかにも"活動家"な方と接する機会も一生の間でそうあるものではないので、ある意味貴重な体験である事は間違いない。
- 高橋源一郎、内田樹といった左翼文化人らが言いそうなこと(身分制につながる天皇制の是非、憲法改正の是非など)を同じように言っているという程度で、本来そこまで大騒ぎするほどではないのだが、その主張を根本的には大学受験のために存在する予備校の授業という場で繰り広げたり、前期は新聞記事まで配り始めたりするので、どうしても少し際立った存在になってしまうと思われる。しかしそういう発言もあってこその福井師の授業だという声もある。
- 例:「安倍は満州事変で日本軍は自ら攻め込んでないと言ったんですよ!日本の歴史が何も分かってないという事ですよこれは!」
- 近年の世間の右傾化を憂い、日本人の同調圧力に危機感を示されている。
- 世論やマスコミの煽動で日露戦争や太平洋戦争が展開していった事実を念頭に、「日本は民衆が民衆を締め上げる国なんですよ。民衆が戦争を引き起こした1つの原因であることは知っておかなきゃダメですよ」と仰る。
- 一方で、政治以外に関してはおしなべて低姿勢で、さらにはなんか可愛い・お茶目・愛着がわく、という声が多いことでも有名。
- 生徒にかなりきさくに接し、(顎で使う講師も少なくないなかで)教務に対しても横柄な態度をとらないことは良く知られている。
- 授業や政治的スタンスだけなく、外見なども個性的。
- 長髪に白髪でさらに白い口髭・顎鬚をはやしていている。白髪で孫がいてもおかしくない年齢ではあるが老人という感じはせず、今なおエネルギッシュな方であり、若い頃の写真からはかなりのイケメンであったという印象を受ける。
- その仙人か雷神のような容姿からして恐らく駿台パンフレットの講師写真紹介で一番インパクトを放っている人物。政治思想が偏っているというのも有名な話なので怖そうな印象を受ける人も多いかもしれないが、実際はそんなことは全く無い。
- ちなみに講師写真は
写りが良いのか切れ味のある雰囲気を醸し出しているが、リアルで見ると意外と丸みを帯びており、正面から見るとスターリンに似た顔立ちである。
- ちなみに講師写真は
- 訛りといえばいいのか、しゃべり方もすこし独特。
- 語尾にやたら「なぁ」や「ねぇ」がつく
- 年齢の割に服装は比較的カジュアル。
- 東急ハンズで店員にサザンオールスターズの桑田佳祐夫妻と間違えられたことがある。
- 服や長髪など、サーファー風でもある。藤沢市在住で、藤沢校にはサーフボードを乗せられる自転車で出講することも(職員談)。
- 同じ駿台講師である須藤公博師は浪人時代福井に師事し、その縁で予備校講師となった。
また、田部圭史郎師も高3の夏期講習にうけた福井師の戦後史の授業をきっかけに駿台日本史科講師を志すようになった。 - きさくな人柄からか交友関係も広い。
- 雲幸一郎師は福井師のことを(チャイムが鳴ってから講師室を出る事に関しての)「師匠」と呼んでいる。「師匠」である福井師が講師室を出るまでは雲師も出ないらしい。
- 論文科講師の内海信彦とは高校時代からの知人でもある。
- 山本義隆師との繋がりも深いようで、共同で「東大闘争資料」という本を作成し東大闘争関連の資料をまとめている。
- 代々木ゼミナールの現代文科講師の酒井敏行とも友人である(彼も又、左翼的思想・発言が色濃い)。酒井氏いわく「彼はとても面白い人」らしい。
- 自民党の石破氏と同級生だったらしい(池知師談)また、トヨタ自動車社長の豊田章男氏とも高校の同級生らしい。クラスは違ったようだ。
- 授業や著作を通して出会った人々とは、どこかで繋がっているのだという幻想に近い願望をもっている。社交的なのも頷ける。
- 本人が社交的な人だからか、異性との交際経験が乏しい現代の若者の惨状を憂いている。
- 本人はデート中の目撃情報がよくあがる。
- 高校で教員をしていたことがある。社会科の教員免許を持っているため地歴公民のどの教科を教えることもできるそう(ただし地理だけは勘弁してとおっしゃっていた)。
- 1972年、師が高校1年のときから渋谷のB・Y・Gというライブハウスに通っている。
- 師曰く「日本史で一番売れている」山川の教科書があまり気に入ってないご様子。
- 上位校受験者の間で山川の教科書が圧倒的に使用されているのは事実である。三省堂(大木伸夫師が「あれは良かった」と評価している)は日本史の教科書をつくるのをやめ、東京書籍の教科書は上位校を目指す生徒にはあまり使われていない。
- もっとも、三省堂は高校社会科の教科書作成全般から撤退したので、山川の教科書の使用率の高さと三省堂の撤退との間に明確な因果関係はない。
- その知名度もあってか様々な点で叩かれることの多い山川だが、ただ単に師が左翼だから不満があるという話でもなく、古い学説に固執してなかなか文章を書き改めない山川の姿勢に「一番売れている教科書ですから、そういうことをされると困るんですよね」と文句を仰っていたこともある。同じ日本史科の塚原師も同様の理由で山川の教科書に批判的な事がある。
- 池知師に至っては、佐藤信(東京大学教授)を「Fラン教授」とまでケチョンケチョンに仰る始末。
- 塚原師によると、山川はあまりにもシェアが圧倒的なので、従来の定説にこだわる教員も新説を推す教員も使えるように文章に含みを持たせている分、学生が自力で理解するのは困難なあやふやな文章が散見されるらしい。
- 池知師「だからあんなつまんない文章が出来上がるわけ」
- 福井師ら駿台日本史科が、山川の用語集に対抗する形であすとろ出版から1997年に『日本史新用語集』を出版したが、教科書を発行している山川のブランド力が絶大なこともあり、これまた山川の用語集との競争に負け、すぐに絶版においこまれた。まさに山川無双である。しかしなぜか大宮校に一冊残っているらしい。また稀にネットにも出回るとか。
- この用語集では文化史は駿台古文科が編集するなどした。
- かなりの自信作のようで、師は「ネットで見つけて1000円以下だったら、購入したほうがいいです」とよく勧める。また、沖縄史など特定の分野を詳しく解説するときは、この本の部分コピーを配ることもある。特に琉球・沖縄史の時。
- 1000円以下で出回ることはほぼない。
- 上位校受験者の間で山川の教科書が圧倒的に使用されているのは事実である。三省堂(大木伸夫師が「あれは良かった」と評価している)は日本史の教科書をつくるのをやめ、東京書籍の教科書は上位校を目指す生徒にはあまり使われていない。
- 大学時代美術史を学んでいた。
- そのためか人物・動物・建物等の絵を描くのが上手く、近世・近代の絵画についてもかなりの知識をもっている。またフカヒレがどこの部位がを説明する為に丸ごと1匹巨大なサメの絵を描いた事もあり、絵を描く事自体が好きなのかもしれない。実際絵を描いている最中の師はいつも笑顔であり見ているこちらが癒やされる。(ちなみにこのサメはヨシキリザメであり田沼意次の俵物の説明をなさるときに必ずお書きになる)
- 会議中他の日本史科の講師の似顔絵を描いていることもある(角田師談)。
- 剣道は4段の腕前。日本刀を語りだしたら止まらない一面も。(この説明の時はほとんど剣道の竹刀と日本刀の絵を描き、なぜ日本刀の竹刀の先が反っているのかや切創の話をなさる。)慶應の剣友会に所属しており、OB会によく出席するそう。OB会ではひたすら日本酒を飲み、ラストオーダーで日本酒3瓶頼んだらしい。大学卒業後も福井師に会いたければ慶應の剣友会に入るのがオススメ。
- よく御茶ノ水の丸善に出没する。
語録 
- 「はい、それじゃあやっていきましょう。」
- 「例えばお茶の水(の)太郎さんがそこらへんの・・・」
- 「はいじゃあ、今日は〇〇のところからですね~」
- 「ちゃんと手動いてるか~?今言ったの(が)全部記述の回答(になるん)だぞ〜?」
- 「それじゃ一番前の君、どう?」
- 「はいじゃーちょっとこっち見てー」
- 「はい、じゃあ、採点してごら〜ん?」
- 「(授業終了のチャイムの時に)お〜、いま何か鳴ったか〜?聞こえなかったなぁ〜」
- 「(無茶な設問を読んで)・・・について説明せよ。って、こんなの試験会場で書けるかって話なんだよ、なぁ?お前がやれよって話だよなぁ!」
- 「答案に第一次安倍内閣って書いてる奴が居て、あんなのに第二次なんかねぇだろって思ってたら、ほんとにまた出てきちゃったんだよなぁ!」
- 「琉球処分以来沖縄に何か一つでも良いことがあったか~?そう考えるとやっぱり琉球独立の動きが出てきてるっていうのは、良いことだと思いますね」
- 「怨霊怨霊って、そんなこと言ったらそこら辺の模様とかみんな顔に見えてくるよなぁ!」
- 「駿台では沢山友達作っといた方が良いぞ~、周りの人ともちゃんと話しときな」
- 「大戦当時のアメリカでは、日本人は極楽浄土に行きたいから特攻するんだなんて理論が唱えられてたらしいけど、そんな馬鹿な話ねえよなぁ!だから現代のイスラムのテロなんかも、その背景をちゃんと考えないと」
- (金解禁をなぜ恐慌中に断行したかについて)「『ニュースです。今日は暗黒の木曜日です。今日から恐慌が始まりますが頑張りましょう!』なんて放送あるわけないだろー?なぁ?」
- 「将来面接で『日本は共和国です』なんて言ったらそこでおさらばだぞ〜?フランスは共和国だな。アメリカやドイツも共和国だ。イギリスや日本は共和国じゃねぇよなぁ。何が違う?そう、前近代の尻尾まだ生え残ってんだろぉ?」
- 「荘園のイメージとして大事なのは、富のとれる人間付きの土地ってことなんだよ。いいか〜?ねぇ?鳥取砂丘もらったって嬉しくないだろ〜?なぁ?」
- 「6歳以上の男女に土地を与えるって言ったって、6歳の誕生日に朝起きたら目の前にリボン付きの土地が置いてあるなんて、そんなバカな話ねぇよなぁ!」
- 「これはおとぎ話じゃなくて70年前の日本の話です」
- 「この映画見とくといいですよ、机に向かうだけが勉強じゃないですからね」
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