安藤達朗
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安藤達朗(あんどう たつろう)は、元駿台予備学校日本史科講師。元日本史科主任。2002年没。
経歴
- 1935年、台湾生まれ。
- 鹿児島県出身。
- 戦後、鹿児島に引き揚げる。
- 東京大学文学部国史学科卒業。
- 東京大学大学院人文科学研究科修士課程(比較文学比較文化専攻)修了。
- 修士論文「日本人の論理構造−総合的歴史観への試み」(1965年度)
授業
- 鹿児島訛りで、かつ吃音だったらしく、授業自体は聞き取りづらかったそう。
- 聞き取れるくらいになるまで慣れるのに一学期分は必要な人もいた。
- 非常に考えられたレイアウトの板書で、授業が聞き取れなくてもノートを見返せば十分であった。
- 毎回スリッパで授業に登壇していた。
- 「よ~うするにっ」が口癖。
- リベラルな考えの持ち主であったためか、岸信介を「きししんすけ」と呼んだり、近代史においていわゆる保守系の人物を故意に音読みする癖があった。
担当授業
通期
夏期講習
冬期講習
直前講習
人物
- 元日本史科主任教授。
- 東大・一橋などの難関国公立大向けの指導に定評があった。
- 「国立の安藤、私立の注連本」と言われていた。
- 『大学への日本史』(研文書院、1973年)の著者として校外生にも有名であった。
- 新人講師は必ず師の授業を参観するという慣習があった。
- 野島博之師も新人講師時代、師の授業を参観したそう。
- 時代区分論について生涯考え続けていた。
- 社会的変動によって、あるいは社会全体の思潮によって、時代区分の設定がいかに恣意的に設定されてきたかという点を明らかにしていけば、たとえば発展段階論的な歴史観のもつ制約性を明らかにできるという考えがあった。
- 「学問は科学でなければならず、科学とは客観的なものだ」という考え方自体がヨーロッパ近代によってもたらされた観念である
- 歴史を学ぶ営為を以下のように記している。
- 『社会に生きる我々は、自覚的であろうとなかろうと、娯楽や文化の一つのジャンルとして、歴史に対してかなり主観的なアプローチをしている。アプローチの基準を一言でいえば、「面白いから」、あるいは「興味を惹かれるから」ということであり、多くの場合、過去の歴史は、歴史上の人物に自己を投影させるという営為をつうじて「未来への橋渡し」をしてくれることになる。ということはつまり、一見、面白さと興味を媒介にした、身勝手な自己投影願望を歴史叙述によって満足させようとする人々の姿勢は、実際のところ、過去のなかに未来をみつめるという点で大変ポジティブな性格を秘めている』(駿台フォーラムより)
- 新谷師により、樺美智子さんを背負って逃げたという武勇伝が語られたが、おそらくは新谷師のホラ話に違いない。
- 樺美智子さんと東大文学部国史学研究室で同僚だったのは金本正之師である。
- 逝去後、日本史科を代表して野島師が追悼文を寄稿した。
著書
学習参考書
- 『日本史講義 時代の特徴と展開(駿台レクチャー叢書〜駿台レクチャーシリーズ〜駿台受験シリーズ)』(駿台文庫、1994年9月10日)
一般書
- 『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世【教養編】』(安藤達朗 著/佐藤優 企画/山岸良二 監修 東洋経済新報社)
- 『いっきに学び直す日本史 近代・現代【実用編】』(安藤達朗 著/佐藤優 企画/山岸良二 監修 東洋経済新報社)
論文
- 安藤達朗「時代区分をめぐって-歴史観の転換のために-」, 『駿台フォーラム』第16号, .
- 安藤達朗(2002)「時代区分を考えるために」(未完), 『駿台フォーラム』第20号, 2002 , .
- 遺稿。
参考文献
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