鈴木長十

Last-modified: Fri, 14 Dec 2018 11:39:26 JST (1d)

鈴木長十(すずきちょうじゅう -1979年8月2日)は、元駿台高等予備校(現 駿台予備学校)学長。元駿台高等予備校英語科講師。初代英語科主任。

経歴 Edit

  • 東京高等師範学校(現 筑波大学) 英語教員養成科を卒業。
  • 駒込中学校の英語科教師となる。
  • 駿台高等予備校 英語科講師。(1939-)
  • 肺がんで死去。(1979)

授業 Edit

  • 一礼の後、開始5分はひたすら黙々と筆記体で板書して始まる。
  • 「はいこちら」と言って英文を一通り解説したら、最後に和訳するの繰り返し。
    • 示される和訳は綺麗であった。
    • 要点はいくつか板書されるが、基本は短い文章を訳していく。
  • 上から矢印、下から矢印など特徴的な表現が多かった。
  • 4月の最初の授業で、初めの5分ぐらいイスに座ったまま沈黙していた。

人物 Edit

  • 戦時下に出兵した経験があり、生前の講義では弾丸が頭をかすめた話で50分もってしまうというもの凄い話術だったらしい。
  • 飯田康夫師のブログによると「田舎」が口癖であった。
  • 「田舎の学校ではこう訳す。都会の学校ではこう訳す。」(栃木の方言で)といって
     生徒の訳を「田舎訳」と言ってけなしていたそうな。
  • 大島師が浪人時代に教わっていたときのことを時々雑談として話す。雲と鹿野と齋藤英を足して割らないくらい怖かったとのこと。また、伊藤和夫以上に怖さと影響力があったとのこと。(雲師とヒデはともかく鹿野師は怖いだろうか…?鹿野師は見た目と雰囲気か怖いので入れたのかも…?)
    • 別の年度では雲と勝田とヒデを足して割らないくらい怖かったと言ってた。怖さが増してないかい?大島師によると「長十に質問にいくバカがいた」とのこと(現東進英語科講師の某I井先生のことか)。当時の駿台は質問に行けない雰囲気があったそうな。ちなみに師は浪人時代に講師室に入ったことがない。
  • 自分より後から入ってくる生徒がいたときは授業をとりやめ、4週ほど授業を行わなかった。
    • テキストの文章は全て頭に入っており、質問のあったページのwithが他のページのなん行目のwithと一緒かを瞬時に答えたとのコと
  • 4週休んだ分は全部1コマで話した
  • 灘高出身者が「高校で習った内容と違う」と質問すると「田舎は相手じゃないの」といった。(2013年、大宮での語法と読解にて 誰が?)古文科のU師もそのような対応をされたと
    語っていた。
  • 伊藤和夫の著書『英文法のナビゲーター』の序文を寄稿している
  • 秋澤師曰く「長十さん、すごいんです。授業をしないんです。」
  • 「クジラ構文」の考案者と言われている。

発言録 Edit

  • 「受かるわけがないのに東大や一橋を受ける人がいます。そして、あるはずのない受験番号を見に行くわけであります。可哀想ですねえ。…でも君達、来年は絶対合格間違いなし!だって、亜細亜大学や国士舘大学だってあるんだから」
  • 「君たちは〜、隣の駅弁大学なんぞに入ってはなりまっせん!」
  • 「このlifeという単語だが、生活に疲れている人に限って、life=生活!といいます。ここでは、集合名詞で生物という意味です。だって生物には、猿やヘビやカエルや、君達がいるだろ」
  • 「授業をやっても楽しいクラスとそうでないクラスがあります。明日はあのクラスかあ、嫌だなというクラスもあれば(笑い)、別に君達の事を言っているんじゃないよ。隣だよ、隣のクラス
  • 師「田舎の学校ではこう訳す、都会の学校ではこう訳す。」(栃木弁で)
    師「君の学校は?」
    生徒「浦和高校です。」
    師「田舎の学校だ!」
    生徒「・・・・・」
    師「でも浦和高校の生徒は数学ができるからね!」(とフォローにならないフォロー)
  • 「売られた喧嘩は買わねばならぬ」
  • 「医者と先生にだけはなるな!」(冗談混じりに)
  • 「せっかく東京に出てきたんだから東京の訳し方を覚えて帰りなさい。…東北には東北大学という立派な大学があるじゃないか。なんで、みんな東京に出てくるんだろう」
  • 「君達を見ていると、昔まだ私が下層階級にいた頃を思い出すよ。…男が一晩遊ぶのに5万じゃ、うどんを食うくらいしか出来ない。やっぱり、10万くらいなきゃな」
  • 「むかし、まだ学生の頃、英語の本を読んでいたら知らない単語が出てきました。だめだな、まだまだだなって思いました」
  • 「勉強がいやなら、オートバイでも買ってもらえ。勇壮だもんな」

著作 Edit

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