関藤裕司

Last-modified: Sat, 22 Dec 2018 12:52:43 JST (187d)
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関藤裕司 (せきとうゆうじ)は、元駿台予備学校化学科講師。
主にお茶の水校四谷校池袋校大宮校に出講していた。

授業 Edit

  • 板書は字と字との間隔が広く見やすかった。
  • 化学の解法で、上級向け、中級向け、初級向けなどレベル別に解説していた。
  • ただ、講義のレベルは中上級者向けだったので、センター対策や基礎クラス、中堅クラスではあまり人気がなかった。

担当授業 Edit

通期

直前Ⅰ期
直前Ⅱ期

人物 Edit

  • 化学科主任の一人だった。
    • 1990年代前半までは、杉本忠身師らとともに、三國均小倉勝幸両師に次ぐ中堅講師だったが、両師に衰えが見え始めた1990年代後半から2000年代前半にかけてトロイカ体制となった。
  • 三國、小倉両師と比較すると人気は推して知るべし。
    • 三國師や杉本師が基礎に徹底するのに対し、中途半端に難しい講義をする為か。
    • 小倉師は元々上級者向けなので、批判は少なかったと思われる。
    • 90年代の関東駿台化学と言えば三國小倉の二枚看板で、両師の体力が衰えた後半はすぐに鎌田福間の二枚看板の時代になった。学生からの支持が得られなかった関藤師がなぜそんなに偉そうに出来るのか不思議に思う駿台生は多かったと思われる
  • 化学科内でのヒエラルキーは意外と高く、模試や校内テストの問題作成にも参加していた。
  • 石川正明師、鎌田真彰師、福間智人師といった人気講師を嫌っていた。
    • 特に当時若手だった鎌田・福間両師を迫害していたらしい。
    • 鎌田師の東進移籍の一因となったともされる。
    • 以前にも鎌田師を退職寸前にまで追い詰めたが、土壇場で小倉師が鎌田師の味方に付いてくれたに寝返ったらしい。
  • 自身の気に食わないと、目を剥いて怒ったようであり、主任という権力を使って自分より優れた若手講師を数々潰してきたといわれる。鎌田師が退職したのもこれが理由という説がある。
  • 80年代から90年代初頭までは大宮校小倉勝幸師とペアを組むことが多かった。
    • 鎌田師が大宮校のスーパーコースを受け持つ頃から、大宮校ではハイレベルコースを担当することが多くなった。
  • 90年代初頭は1号館の早慶理系スーパーで田中茂師とペアを組んでいた。また難関国公立大理系セレクトでは杉本忠身師とペアを組んでいた。
    • 小倉師、田中師、杉本師に対しては批判することはなかった。
  • 三國均師作成の化学S教材に対しても批判的で、順番通り進むことがなかった。
    • 三國師とペアを組んでいたクラスでは、かなり三國師の批判をしていた。
  • 年度によっては、市谷校舎新宿校のスーパーコースを受け持つこともあった。
  • 関藤裕司師作成の模試、校内テストの問題は比較的やさしめだったからか、平均点が非常に高かった。
    • 校内テストの平均点が80点台だったことも。
  • 三國師や小倉師の著作に、共著者・補訂者としてしゃしゃり出てきて、両師の純粋な信者からはウザがられていた。
  • ある有名参考書に対しては、「高校生には難し過ぎる」として批判的であった。

著作 Edit

学習参考書 Edit

  • 『化学 入試の核心 100題』(関藤裕司 Z会出版、2000年)
    • 改訂版は、Z会出版編集部編。

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