田中茂
Last-modified: Thu, 26 Oct 2023 23:40:00 JST (415d)
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経歴
授業
- 独特なテンポでマイペースな授業を展開する。やや解き方中心か。
- 「これは難しいですねー。解けません。困りました。うーーん」とひとり芝居を長々とした後に、知識を整理し解法を伝授する。
- 「これ~、私も解らないですねー 何でこんな問題あるんですかねー」 と言った妙な脱力感があった。
- 黒板に図を書いて説明するとき、「これから漫画を書きまーす。」と言って図を書いていた。
- 90年代初頭は当時お茶の水校1号館に設置していた早慶大理系スーパー「化学SI(有機)」(SⅡは関藤裕司師、早慶理科大化学は92年は滝澤佐衣子師、93年度は関西の所裕之師が担当)担当(ちなみに当時は3号館の東大理系スーパーは石川峻師、市谷校舎は大橋憲三師担当)と市谷校舎の医系セレクトコース、横浜校に出講していた。但しその頃は駿台予備学校以外にも河合塾や研数学館(1992年ごろまで)にも出講していたため駿台での担当したクラスは限られていた。
- 1990年代半ばごろから退職するまで、市谷校舎(SA、SB)、四谷校(SA,SB)の医系スーパーコースの上位クラスの化学SⅠ教材【市谷校舎のSⅡは小倉勝幸師、四谷校のSⅡは三国均師担当)、お茶の水校に移転した後の東工大コース、横浜校の東大理系スーパーコース、医系スーパーコース、東工大コースを担当していた。また薬農系クラスも担当していた。(尚、新宿校での東工大コースは出講していたかは不明。ちなみに新宿校の東工大セレクトコースの化学の担当は91年~93年は田中師ではなく、大橋憲三師(SⅠ)と三門恒雄師(SⅡ)が担当していた。)
- 長年、横浜校に出講していた。そのためか講習会の東工大対策は、お茶の水校、新宿校に関しては佐野芳徳師担当(後にお茶の水も田中師担当になった)だったのに対して横浜校は田中師(90年代初頭は横浜校も佐野芳徳師担当)が担当していた。また『東大化学』も田中師が担当していた。
通期
高校生クラス
直前Ⅰ期
直前Ⅱ期
人物
- 鎌田師、福間師などのようなハデさはなかった。
- 三國均師、小倉勝幸師のことを尊敬していた。また、他の講師の批判などは一切言わなかった。
- 講師紹介欄の写真について、本人曰く、撮影の際黒板には何も書かれていなかったが、それだと何か違和感があったようで、アンモニアの反応式を書いた模様。
著作
学習参考書
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