山本茂年

Last-modified: Sat, 25 May 2019 01:04:59 JST (24d)
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山本茂年(やまもと しげとし)は、元駿台予備学校数学科講師。元数学科主任。

経歴 Edit

  • 1971年、日本大学歯学部進学課程物理学教室助手。
  • 1973年4月、同専任講師。
  • 1978年4月、同助教授。
  • 1983年、駿台予備学校数学科講師。

授業 Edit

  • 3Nに比べて大胆で巧妙な解法で問題を解いていた。
  • 板書の美しさ、図の正確さは根岸師と双璧。
    • 非常に神経質で、途中まで書いた丁寧な板書を、「おぅっ」と言って2/3くらいドーッと黒板消しで消していた。
  • 見やすいという点では根岸世雄師を上回っていた。
  • <別法>、<研究>という補足事項もよかった。
  • 私語、居眠り、遅刻には(当たり前のことだが)厳しく注意していた。
    • しかし、生徒を蹴飛ばしたり、教室から追い出したり、
      授業自体を放棄するようなことはなかった。
  • 授業中に体調が良くない生徒を気遣うなど優しい面もあった。
  • 西岡康夫師も数学Xに関しては「山本先生が教材を作ってるからレベルの高い問題が散見される」というようなことを言っていた。
  • YouTube上に当時の東大の解説授業がアップされているのでそこで授業の雰囲気を垣間見ることが出来る。

人物 Edit

  • 物理学者。
  • 3N+Y、四天王、コメンタールの著者の御一人。
  • あだ名は「モネン」
  • その風貌から「バカボンのパパ」と呼ばれた。ちなみに、バカボンパパはバカボンよりもバカである。バカ田大学卒業。
  • 物理科山本義隆師と混同されやすかった。風貌が違いすぎるので、問題はなかった。
  • いわゆる黒大数派ではないが、津野田修吉師は日本大学教員時代の上司に当たる。
    • 日本大学歯学部助手時代初期には、津野田修吉教授らとともに、3人体制で物理学を担当していた。
  • お茶の水校では、東大文系スーパー、東大理系スーパーだけでなく、午前部理1β(旧2号館)や難関国公立大理系、私立理系コースの基礎クラスまで担当していた。また市谷校舎池袋校にも出講していた。
  • 留学から帰国した後の模試で数学0点を叩き出した際、茂年師に相談したというような旨を久山道彦師がおっしゃていた。

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