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大岡俊明
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*授業[#m622697b] -長身・長髪・白髪にヘアバンドという出で立ちで、右手を頬にあてながら話す講義スタイル。 -黒板には世界地図を掛けて、持参した何とかサファリという名前の折りたたみ椅子に腰かけて授業をする。 -声は聴きやすく、板書はほとんどなく淡々と話す。 -読書量がすごく世界史に関する知識は凄まじく、文献を多く紹介する。 --講義に際しては世界史に関する膨大な量の書物を紹介し、 受験生を世界史の深遠な世界へ誘った。 その片鱗はかつて執筆していた青本にも示されていた。 --理系のセンター対策の授業でもその知識を惜しみなく披露していた。文献の紹介が多く、知的で楽しい授業。 -50分授業の半ばで「ハーフタイム」といって休憩を入れてくれた。時間は砂時計で計っていた。 -1990年代までは、夏期講習会・冬期講習会で自作テキストによる 「世界史論述」「東大世界史」を開講しており、大学入試の世界史の授業としては最高レベルの質を誇る授業だった。 -クールな感じなので冷たい感じかと思いきや、質問対応はとても丁寧。 --師のお気に召せば3号館の生徒でも質問できるとかできないとか…。勇気ある者はチャレンジしてみては? -エミールの授業では師の制作したすべての東大実戦の過去問と東大の過去問40年分を配布し、添削してくださる。 //-漠然とした記述で恐縮だが ユーラシア大陸の西側と東側の歴史の展開がいわゆる時空的には繋がっていないのに ひとしきり淀みなく語り続けて止まった時 一瞬 教室の空気を観察したような間合いで ほら(ここでも)やっぱり繋がっているんですよと 呟くように語り掛けられたという記憶が残っている //又 初回の授業の やや進んだ頃 矢張り 学生の雰囲気にもの足りないものを感じたのか 冒頭からの大学入試で計られる能力が官僚養成に特化した限定的なものである云々という慰めのような話に頷きかける我々に 甘いそれでは又落ちるとそこからご自分が学生として東大にアフリカ史を学ぶ問題意識(御本人は違う言い方をされたが)を仲間と創ったと話され 後生恐るべしと言われて来たが こんなでは反対で 自分達(講師)は このまま(手を抜いてしまって)いいと思ってしまうぞ と -師の授業はカセットテープレコーダーを用意した学生が横長の机の最前列と教壇の間の床に群がって座っていた //私の時はご自分のブリントを配られるという事は まだ無かったし大岡という苗字の歴史の本はずっと探していたつもりでいたのだが、無念に近い。
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大岡俊明(おおおか としあき)は、元駿台予備学校世界史科講師。 *経歴 [#m622697a] -1943年ころ誕生、関師の1学年上。 -開成高等学校卒業。 -東京大学文学部東洋史学科(アフリカ史専攻)卒業。 -2021年、惜しまれながら逝去。 *授業[#m622697b] -長身・長髪・白髪にヘアバンドという出で立ちで、右手を頬にあてながら話す講義スタイル。 -黒板には世界地図を掛けて、持参した何とかサファリという名前の折りたたみ椅子に腰かけて授業をする。 -声は聴きやすく、板書はほとんどなく淡々と話す。 -読書量がすごく世界史に関する知識は凄まじく、文献を多く紹介する。 --講義に際しては世界史に関する膨大な量の書物を紹介し、 受験生を世界史の深遠な世界へ誘った。 その片鱗はかつて執筆していた青本にも示されていた。 --理系のセンター対策の授業でもその知識を惜しみなく披露していた。文献の紹介が多く、知的で楽しい授業。 -50分授業の半ばで「ハーフタイム」といって休憩を入れてくれた。時間は砂時計で計っていた。 -1990年代までは、夏期講習会・冬期講習会で自作テキストによる 「世界史論述」「東大世界史」を開講しており、大学入試の世界史の授業としては最高レベルの質を誇る授業だった。 -クールな感じなので冷たい感じかと思いきや、質問対応はとても丁寧。 --師のお気に召せば3号館の生徒でも質問できるとかできないとか…。勇気ある者はチャレンジしてみては? -エミールの授業では師の制作したすべての東大実戦の過去問と東大の過去問40年分を配布し、添削してくださる。 //-漠然とした記述で恐縮だが ユーラシア大陸の西側と東側の歴史の展開がいわゆる時空的には繋がっていないのに ひとしきり淀みなく語り続けて止まった時 一瞬 教室の空気を観察したような間合いで ほら(ここでも)やっぱり繋がっているんですよと 呟くように語り掛けられたという記憶が残っている //又 初回の授業の やや進んだ頃 矢張り 学生の雰囲気にもの足りないものを感じたのか 冒頭からの大学入試で計られる能力が官僚養成に特化した限定的なものである云々という慰めのような話に頷きかける我々に 甘いそれでは又落ちるとそこからご自分が学生として東大にアフリカ史を学ぶ問題意識(御本人は違う言い方をされたが)を仲間と創ったと話され 後生恐るべしと言われて来たが こんなでは反対で 自分達(講師)は このまま(手を抜いてしまって)いいと思ってしまうぞ と -師の授業はカセットテープレコーダーを用意した学生が横長の机の最前列と教壇の間の床に群がって座っていた //私の時はご自分のブリントを配られるという事は まだ無かったし大岡という苗字の歴史の本はずっと探していたつもりでいたのだが、無念に近い。 *担当授業 [#d0e42abe] -講師晩年は、エミールや津田沼校の高卒授業に絞ってうけもっている。 -かつては、3号館の東大文系コースを長く受け持っていた。 --3号館の東大理系コースのセンター試験対策も受け持っていた。 -1990年代までは、夏期講習会・冬期講習会で自作テキストによる「世界史論述」「東大世界史」を開講していた。 --夏期講習の「世界史テーマ別整理」「世界史現代史」、冬期講習の「世界史論述対策演習」は超人気講座だった。 #fold{{{ ''通期'' }}} #fold{{{ ''春期講習'' }}} #fold{{{ ''夏期講習'' }}} #fold{{{ ''冬期講習'' }}} #fold{{{ ''直前講習'' 直前Ⅰ期 直前Ⅱ期 }}} *人物[#m622697c] -著作がないため、一般的な知名度は代々木ゼミナールの山村良橘先生に劣ったが、東大の青本や夏期講習「世界史テーマ別整理」で校外生にも知られ、東大受験生を中心に絶大な人気を誇った伝説の名講師の一人である。 -2021年惜しまれながら逝去。冥福を祈ります。 -東大の青本を1980年から2008年まで執筆していた。 --残念ながら『東大入試詳解シリーズ』は、青本の過去の師の解答・解説は収録されておらず、全くの別物である。 -一橋大学の青本も担当していた(〜1995年)。 -長年にわたって東大受験生の多い駿台予備学校で東大クラスを担当してきたため、 現在、第一線で活躍する学者・歴史学者の中には彼の指導を受けた者が多い。 -2001年度に3号館の[[東大文系スーパー>スーパー東大文系]]出講を辞めてからも、8号館の[[京大文系スーパー>スーパー京大文系]]や池袋校には出講していた。 --当時は人気はなかったらしい。 -関西駿台世界史科で、批判魔として知られる[[中谷臣>駿台大阪校wiki:中谷臣]]師も、「(大岡師が東大の青本を作ってらっしゃったことも踏まえて)非常に優秀かつ素晴らしい先生だった」としてこの上ない賞賛を送っておられた。 --当然、昔大岡師が書いていた東大の青本の解答例や解説も絶賛してらっしゃった --尚、中谷師は今の東大の青本の解答例についてはこれでもか、というくらい批判する。 -質問対応もよくて本当にやさしい講師。 -物理科の山本義隆師、古文科の秋本吉徳師とともに、かつてはパンフレットにも写真が掲載されず多くが謎に包まれていた。 --現在では、エミールと高卒のパンフレットには掲載されている。 -若い頃は南アフリカ共和国のアパルトヘイト解放運動に関わっていた。 -アフリカ民族会議(ANC)の指導者とも接触したことがあるらしい。 -''東京大学学生文化指導会''で受験指導をやっていた。 --同会が講師を務めていた千代田予備校に出講していたかは不明。 -著作はないが、1970年代に『思想』にアフリカ研究論が掲載されたり、平凡社の百科事典のアフリカ史の項を執筆したりしていた。 --大岡俊明(1970).「アジア・アフリカか,ユーラフリカか--アフリカ史に対する世界史の視角と視野をめぐって」, 思想 (556), pp.39-53, 1970-10, 岩波書店. -2019年度のパンフレットには、掲載がない。
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