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白木宏明
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*著作 [#t6816f39] -『センター試験 要点はココだ! 日本史B』(中経出版、2010年) -『瞬間記憶! つなげて覚える 日本史B用語』(かんき出版、2020年1月21日) --通期のまとめノートのダイジェスト版といった感じ。師曰く執筆に数年かかったとのこと。
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[[白木宏明]](しらき ひろあき)は、[[駿台予備学校]]日本史科講師。市進予備校日本史科講師。[[1号館]],[[自由が丘校]],[[津田沼校]],[[柏校]]に出講。 *経歴 [#od1d0291] -兵庫県西宮市出身。 -早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。 *授業 [#w97c4c23] -どこの説明をしても、シャーっとなどの擬音語を多用する。 -早口のようでいて意外と授業進行はゆっくり。 -歴史事項の説明をするときには声のトーンがちょくちょく乱高下する。 -教壇上を腕を組んで歩き回りながら話すことが多い。ちなみにその時の足はバタついている。 -時々口籠もりながら聞き取りが難解な言葉を発することがある。 --「いい?今のわかった?う〜&#@〒*€☆♪$♨︎¥んじゃあ次のところ!」 --この時も大抵腕を組みながら足をバタバタさせている。 --当時の状況などを説明される際に「やばいっす」と仰られることが頻繁にあるが、早口過ぎてもはや「やべす」にしか聞こえない。 -説明や雑談など、語尾に「〜&#@〒*€☆♪$♨︎¥な?」と高確率で話す。 語尾に「〜な?」を師は本当によく使うのだ。5分につき何回言ってるか分からない。 授業中は集中していて意識しないかもしれないが、師が授業している教室を通りかかると、師がどれくらい「〜な?」を使っているかが分かるだろう。 師は、「ね」もよく使う。「&#@〒*€☆♪$♨︎¥〜ね、な,ね?、うん、な?」高速で言うのであまり聞き取れないかもしれない。 慣れてしまうと気にならないが、初めて師の授業を受けるものは、師の「〜ね」「〜な?」の多さに驚くだろう。 --重要な歴史的事項を説明している際に授業時間が残りわずかになると「~ね」「~な?」の使用頻度が更に倍増する。 ---各語の文節毎に「~ね」「~な?」を連発する。3秒につき1回程度は発する。それはもう見事である。 ---質問対応も丁寧かつそこそこ早口ではあるが、上記のような「~ね」「~な?」の連発は見られない。師の心理的焦慮に比例して「~ね」「~な?」の連発の頻度は高まっていくのだろう。 -お茶Wikiを見れば分かるだろうが、かなり個性が強い。%%そもそも師に限らず、関東駿台日本史科の講師は相当なクセモノ揃いである。偉大なる大先輩方に比べれば、師はこれでもたいへんマイルドな方である。%% -相当な頻度でマイクの位置を調整するが、同じ場所にとどまっている気がする。きっと師にとっては何かが違うのだろう。 -どの時代もまるでその場面に居たかのように話す。 -時折黒板に描く絵が面白い。遣唐使や似顔絵は爆笑必至。 -プリント中心に授業を進める。 --よくできたプリントであり、頭に残りやすいように作られている。しっかりやればテスト本番にプリントが全部思い出せるようになる。 --上から下に順序を意識して作られており、プリントをやりこめば順序の並び替え問題で間違えることは無いと豪語する。 --A4ノートの左側にプリントを貼付し、右側に板書・メモを書き込むことを師は勧める。 --プリントの量が膨大なので、ノートは通期(+戦後史)用・講習用(文化史など)と分けたほうがよい。 ---通期はテキスト1冊ごとにノート1冊を用意しておいた方が復習もしやすくなる。 ---現役生などで全て師の授業を受ける場合40枚のノートだと原始〜戦後史までで3冊、文化史で1冊、テーマ史(講習など)で1冊程度必要である。 -師の授業を最大限に引き出すためには彼の言ったことを必ず書き取ることが必要である。 板書もよくするが、プリントに口頭だけで言ったことも書くことで、プリントが完成するようになっている。 -大学の入試問題を小問ごとに時代やテーマに分けて編集・掲載した「サンプル問題」を配布し、それを使用する。基本的に授業と並行して使うため、答えは配布されない。 --授業で出てきた細かい内容も網羅し、出典元の大学名も記載されているので復習や対策にとても役立つ。(師曰く、自分の手元には25年分ほどの入試問題のストックがあるらしい。) -話しているうちに夢中になって自分の知識をペラペラ喋ってしまうタイプの講師で、一応大半が日本史に関連する雑談ではあるものの、明らかに受験では問われないオタク知識も多いため適度に聞き取って適度に聞き流すのが望ましい。無論全く関係のない雑談のときもある。その類いは大体面白い。 --師本人も自覚はあるようで、ひたすら知識披露をした後我に返って「語っちゃってごめん」と謝罪する事もあるが、だからといって雑談をやめる事はない。 -その雑談の長さゆえ授業延長も常態化しており、チャイムが鳴ると若干焦るものの、結局何の予告もなしに1時間延長したり今日は延長しないと言いながら30分延長した事もある。そのため延長が嫌な生徒はなるべく受講を避けるのが望ましい。師は「時間やばい人は途中で帰って良いからね」と仰ってくださるが、大体その日の授業で大事な事柄を延長中にやる場合が多いのでやめた方がよい。 -駿台にiPadが導入されてから、師の授業は対面ではなく12月上旬から補講が配信されるようになった。 --2022年度も補講は配信である。 ---18〜24ページと相当の長さだったが、師は補講の映像授業でも喋り続けた。 -補講ではマスクを着用せずに授業を行なっていた。教室には生徒がいないので、まあこれは許容範囲だろう。 --コロナ禍で師に日本史を習っていた者は、映像授業以外では師の顔の全貌を眺めることが出来る人は、師が昼食中以外ないだろう。師はお昼は席を外していることが多いので、顔の全貌を拝むことができるのは、激レアである。 --師は、マスクする前と後ではマジで顔というか雰囲気が若干全然違う。どちらの師もイケメンではあるのだが。 ---雰囲気とか顔、思ってたのと若干違うなあ…とビックリするかもしれない。 ---ゆえに、女子生徒から人気が高いのは頷ける。師はマスクを外してもとてもイケメンである。と、2022年度の師の補講授業を受けた女子生徒たちが話していた。師が推しだとTwitterで呟く者や、推しだの隠れファンだのと宣言する生徒は、少なくない。 -師の雑談が長すぎて、配られたプリントの半分しか進まないことが稀にあるが、そんな時、師は、両手を前にやり、 「大丈夫大丈夫、前回から後期まで授業ずーっと受けてて、終わらない〜なんて感じてるかもしれないけどね、日本史なんてね、終わりますからちゃんと。安心して。な?」と話していた。それなのに補講は組まれる。 -授業延長について、師は自覚しているらしく、「今年も恒例の補講になります。映像配信するのでちゃんと見て。な?見ないと悲しいっす。やばいっす。」と手をバタバタさせながら話していた。 --授業残り5分くらいのところでいきなり雑談をぶっ込んでくることがある。生徒は、「できる限り延長の時間を短くしてほしい!」と「でも雑談が面白い!」という2つの気持ちに挟まれ、ジレンマに陥る。 --高卒の直後にその教室で現役フロンティアの授業が行われる場合、窓越しにクラスリーダーから急かされる。講習の昼コマでは夜コマの受講生との入れ替えが5分ほどになることもある。それでも「警告来ちゃった、まあいいや」と言って何事も無かったかのように喋り続ける。 --夏期講習期間に台風が接近し、17:00閉館となった日の昼コマでも「今日は延長は御法度だからね」と言いながら15分ほど延長した。挙句の果てに生徒に「台風来るから早く帰ってね」と言っていた。それでも師は憎めない。 --講習の延長について師曰く「校舎から警戒されている」らしく以前よりは延長時間を減らしているようだ。蘊蓄も減らしているようで「ここ語りてぇー」と度々おっしゃっている。%%我慢できないこともある。%% --基本的に現役生は通期で師の授業を受講すると、後期は必ずと言っていいほど30分は延長されるので覚悟して欲しい。が、それに見合うだけの価値はある。 -延長に延長を重ねても範囲が終わらず、補講を組むが補講でも延長する。師の授業は非常に人気のため補講なのに生徒がどことなくウキウキしている。 -以上の事から分かるように、あまり授業時間に対する計画性は感じられない。まあ、授業延長に関しては[[偉大なる大先輩>福井紳一]]がいらっしゃるので仕方ない気もするが、もうちょっと時間を考慮してやって頂きたいものである。 -通期では小テストを頻繁に行う。 --小テストを行う時は前もって予告されるが、延長によって時間がなくなった場合は行わないこともある。 --「最終講の最後に全範囲のテストするからね!」と3週間前くらいから予告していたものの、結局最終講では20分延長してようやく範囲が終わったためにテストの時間がなくなり、その上用意したテスト用紙と解答すら生徒に配布し忘れかける、という珍事も発生した。 --逆に、延長していたとしても師の意地で小テストを行うことも。 ---「ごめん、授業延びちゃったけど今日はテストやるよ!これ以上テストやらなかったら『テストをやる』って言ってるだけの狼少年になっちゃうからね。」 -テストは基本的に自己採点である。回収されることもあるが、返却はされない。「来週の授業で小テスト返却するからね」と話していたので、多分忘れている。 -師はテストの解答を配り忘れることが稀にある。 -授業開始時か授業が半分過ぎたところで「今日はプリントの○○ページまで進めるからね〜」と言う。しかし大体の場合、10分から20分延長したとしても師が宣言したページからマイナス1〜2ページくらいのところでタイムアップになる。 -私立対策を念頭として授業をするため国立対策には向かない。通期の国公立志望コースでは配慮がなされるが、講習だと私大向けの授業をするので注意が必要。 --授業の中で私立の入試問題を扱い、知識と各用語ごとの出題形式の確認をする。 完璧にすればどこの私大を目標に添えても相当成績は上がる。 -通史がとくに良い。時間のない現役生にはオススメ。 -性格の良さと生徒に対する面倒見の良さはピカイチで、寝ていると「大丈夫?体調悪い?」と本気で心配しながら起こしてくれるので非常に罪悪感を感じる。 -あくまで、教壇に立っている時は生徒に向かって日本史を教えることに徹している感が強い。最初の挨拶を済ますとスイッチが入ったかのように解説を始め、プリントを配る時と質問を投げかける時以外は基本的に一切生徒に接することなく授業が進む。 --決して師が冷たい・生徒に興味がないという訳ではない。質問対応は良く、むしろ生徒の目線に立って授業を行っていることが実際に受けていると感じられるだろう。上記のように面倒見が良過ぎるくらいである。 --師の授業への熱意と志は、講習会や学期始めに配られる開講にあたってのガイダンスのプリントに書かれている内容から伺える。 -質問対応は良い。添削もして下さる。 --質問対応の際は、授業とはうってかわってそこまでバタバタされている感はない。一人一人の疑問に真摯に向き合ってくださる。 -特別注意こそしないが、授業を欠席することには厳しい目を向けている(正当な理由がある場合は別)。非常に濃い内容であるが故に、1回でも欠席すると授業についてこられなくなり、2回欠席した場合は、もう大学受験は無理である(大学受験を断念して進路変更をしたと見なす)と仰られる。 --勿論この言葉の通り、延長は多いもののその分密度の濃い授業を展開し、欠席者も寝ている人も少ない。 -私立志望と国公立志望で、それぞれ関係した問題や話題について触れる際「関係者の皆さんだけ聞いて」と言う。 -政治的発言をしないようかなり気をつけられている。(右か左か不明) -時には過激な発言(竹島、北方領土問題の解決案)も見られるが本気か冗談かわからない。 -一般的に悪人と認識されている人物にさえも最終的には「僕はこの人すごいと思いますけどね。いやーいい人なんですよ〜」と肯定される。 *担当授業 [#r5e65e1d] #fold{{{ ''通期'' -日本史前近代Ⅰ([[柏校]]-LP) -日本史前近代Ⅱ([[1号館]]-LJ,LK+LL,LR,LP、[[津田沼校]]-LJ、[[柏校]]-LA) -日本史近現代([[1号館]]-LT) -[[高3スーパー早慶大日本史]]([[2号館]]) -[[高3スーパー日本史]]([[自由が丘校]]、[[津田沼校]]) 特設単科 -[[早慶大日本史演習]]([[1号館]]、[[津田沼校]]) }}} #fold{{{ ''春期講習'' -【必修】現役生のための入試日本史(お茶の水校、自由が丘校、津田沼校) }}} #fold{{{ ''夏期講習'' -日本文化史(古代・中世) (お茶の水校、自由が丘校、津田沼校) -日本文化史(近世・近現代) (お茶の水校、自由が丘校、津田沼校) -早慶大日本史(Summer Special) (お茶の水校、津田沼校) }}} #fold{{{ ''冬期講習'' -日本現代史徹底整理(戦後史) (自由が丘校、お茶の水校、津田沼校) -日本史史料問題対策(お茶の水校、自由が丘校) -私大日本史(分析・実戦編~早慶&難関私大) (お茶の水校、自由が丘校、柏校) -早慶大日本史(Winter Special) (お茶の水校、津田沼校) }}} #fold{{{ ''直前講習'' 直前Ⅰ期 -日本史FA-正誤問題攻略-(自由が丘校、津田沼校) 直前Ⅱ期 -早大プレ日本史(お茶の水校、津田沼校) -慶大プレ日本史(お茶の水校) }}} *人物 [#w9397b3c] -兵庫県西宮市出身。 --小学校四年生のときに東京に引っ越してきたらしい。 --師の父親は銀行員で転勤が多かったため、小学生のうちに4回も転校したらしい。 --中高一貫の男子校に通っていたらしい。 --師には、弟がいるらしい。 -駿台以外でも授業をしてるので一年中休みがないらしい。 --そのため師に論述の添削をお願いする時は自分である程度採点してから気になった所を質問するのがよい。(頼めば快く1から添削してくれるが師が5時寝9時起きの生活になってしまう) -大木師、今西師など、他の日本史講師にも当てはまるが、一問一答のような丸暗記の勉強に否定的である。 --一問一答は直前期に確認という意味で使うのは否定はしてないようだ。 -また、師は、教科書を読む勉強にも否定的である。 --学生独りで教科書(特に山川)の記述から要諦と流れを掴むのは難しいからとのこと。 ---山川の記述は多方面に配慮しているためか、古い学説に固執したり(多くの学生を悩ます荘園制の「鹿子木荘」の説明など。塚原師は山川の姿勢に強く憤っておられる。)曖昧模糊な記述になってしまっている面も多く、かの塚原師も、自力で読むには山川よりも実教出版や東京書籍の教科書の方が良いとまで仰っている。 ---山川の教科書の古代から現代まで注の欄をサラッと読むことは勧めている。瑣末な知識なので、直前にやるといいと授業中話していた。入試問題で、注から出される大学は一橋、早稲田、慶應といった難関大以外にも、共通テストで問題文として出題されるので、通史などが一通りすんだら読んでみると良いのだとか。 -終わった範囲の過去問は解いておくようにおっしゃる。 --このように、師は、直前期の使い方や、一貫した勉強のアドバイスも授業中にしてくれるので現役生にもおすすめ。 -質問対応も素晴らしい。学習のアドバイスもしてくれる -授業中は、雑談や過去の思い出を語ることはあっても、現在のプライベートなことや他講師との絡みを話すことはまずない。他講師も白木師の名前を出すことはあっても他には語らないので結構謎に包まれている部分がある。 --駿台をやめた講師とのエピソードはたまに語ることがある。 -白黒テレビが普及した時、携帯電話の普及について話が飛躍し、駿台で前に亡くなられた先生で、スマホを持たず、ガラケーを貫いたまま亡くなられた先生がいたが、とても不便そうだったと、手をバタバタさせながら話していた。 これを岡井師も、近現代の情報の普及についての文章を扱った際、この講師について名前を上げないで話していたが、スマホを持たずガラケーを貫いたまま亡くなった講師とは一体誰のことなのだろうか…? -駿台を辞めた講師のエピソードもかなり濃い。人気講師だったのに、冬季講習に1コマも入っていないので、師が「どうしたの?」と聞きに行ったところ、その駿台を辞めた某人気講師は、「パチンコで~千万当たったから辞めた」と話したそうだ。師は「名前はあげないですけどね」と言いながら、師は「その方はご高齢だったからあれですけどね、汗水垂らして働くのが仕事ってもんよ」と熱くお話しされていた。 -須藤公博師は、稀に白木師のことを「A4」と授業中に呼ぶことがある。 --「この部分って白木さんの担当だよね。まぁ彼はかなり実力があると思うよ、あのA4君ね。」 --また、須藤師が駿台日本史科講師の採用試験に合格してからしばらく新たな採用者が出ず、年月が経ち10年振りにようやく採用試験合格者が出たのだが、その人こそが白木師だった。このことは須藤師も白木師も授業中に語ることがある。 --須藤師が白木師と講師室で会った時に、「どんな反応をするのだろうか」と、敢えて白木師に左翼的な政治発言をしてみたら、師は何も言わずにニコニコしていたらしい。 -授業中に政治的発言はしないが、現代日本の税金・社会保障費の高さはしょっちゅう嘆いている。 -女子を中心に生徒からの人気が高い。 -既婚。 -歩くのが非常に速く、毎時間ものすごいスピードで教室に入ってくる。 -飛行機が大の苦手。そのため沖縄にいったことが一度もないそう。 --「だって落ちたら怖いじゃないですかあんなもん」 --この言葉の通り、師の著書の著者紹介には「趣味は''国内''旅行(とくに関西・九州)」と、念を押すかのように記されている。 --太平洋戦争時に日本がB-29による爆撃を度々受けたこと、また田中角栄が関与したロッキード事件を踏まえて「ボーイング社とロッキード社が作った飛行機には乗ってはいけません」と仰っていた。 -中学生の時オーストラリアにホームステイにいったが英語が全く喋れず、毎日犬と話していたらしい。 --少年時代は父の影響で毎年伊豆に旅行に行っていた。 --社会人になった後に恩返しの意味で家族を伊豆旅行に連れていった。 -他の趣味は、スポーツ観戦と90年代のヒット曲(特にミスチル)を聴くことだそう。 -野球好きらしく、出身地の影響から阪神タイガースを応援していた。 --そのためか、まとめプリントや授業中の説明では野球で例えることもしばしば。(“蔭位の制は長嶋一茂のようなものです”など) --サッカーにも関心があり、ワールドカップの時期は生徒と盛り上がっていた。 -元サッカー日本代表の三浦知良氏を尊敬しているとのこと。 --授業間の休憩をよくハーフタイムと仰っている。 -早大卒のため、早大プレなどの際には早稲田の魅力を熱く語る。 -何処となく市原隼人に似ている。 -目が真ん丸でクリクリしていて、いつも微笑んでいるように見える。オプーナに少し似ている -飲んだらどこのコーヒーか分かるほどの缶コーヒー好きらしい。 -お酒が苦手らしい。 -メロンが苦手である。 --北海道へ旅行に行った際、夕張メロンのアイスクリームを食べたところ、とても美味しくてテイクアウトし、毎月送ってもらうように手配していたが、食べ過ぎてもう飽きてしまったことが原因だそうである。 --ビールはサッポロ派とのこと。 -納豆も苦手。 --20歳になり食わず嫌いを克服しようと近所のダイエーで納豆を購入し切り刻んで食べようとしたもののやはり断念。 --その後、そろそろ食べれるようにならないと、と思い再度挑戦したところ思いの外美味しく、今では週6で食べている。 -読書家。本愛好家。家に日本史の本が沢山あるらしい。 -師が生まれて初めてマクドナルドの商品を食べたのは小学校3年生の時である。 --師が小3の頃に近所にマクドナルドが出来、弟と一緒に自転車に乗って食べに行ったそうだ。ちなみに師が初めて食べたマクドナルドの商品は、マックシェイクである。マックシェイクの美味しさに感動した師は,まだマクドナルドが珍しい頃だったこともあり、翌日学校でクラスの人に自慢したそうである。 -煙草を吸わない。試しに本当に不味かったそうだ。「ほんとにねぇ、皆さん、あんなん吸ったらダメですよ、身体に悪いし。」煙草吸う恋人に対して良いか悪いか、授業中多数決まで取っていた。ちなみに喫煙反対派がほとんどだった。 --夕食では必ず納豆か叙々苑キムチが食卓に並ぶらしい。 -団体行動が好きじゃないと度々仰る。デモに誘われても断るようだ。%%[[誰に誘われているか>須藤公博]]なんとなく想像がつく%% --2022年度の授業で、「今度増税されたら、デモにいこうかな。あ、みんな、デモに行く僕のことを止めないでね」と生徒に念押ししていた。 -2017年度夏期講習で関西と関東の違いを説明する際にお雑煮の例を持ち出そうとしたのだが、「お雑煮」という単語をド忘れし師特有のマシンガントークで乗り切った。 --次の時間の冒頭「さっきの話だけどさ!思い出した!」という一言から始まったもののやはりお雑煮という単語を思い出すのには暫く時間がかかっていた。 -常時マシンガントークを炸裂させるため、時に突拍子もない発言をすることがある。 -マシンガントークすぎて息切れがすごい。 -雑談の中には、時にやや事実を誇張させた表現もある。明らかなホラ話とそうでない場合とあるが、どちらにしろ無論面白いので問題はない(講師の雑談に対してそのようなことを考えるのが野暮なことなのかもしれないが)。 -師の父親は転勤の多い銀行員だった。 -師の兄弟が親に内緒で消費者金融で多額のお金を借りていたので、家にサラ金の人たちが取り立てにきたことがある。師の父親が追い返し、「銀行員の息子が銀行で金を借りるな」と怒鳴ったのだとか。師だけでなく師の兄弟まで濃いエピソードをもっている。さすがである。 この経験から、師は、「借金してはいけない」と何度でも語る。 --「日本銀行は東大卒じゃないと就職できないからね!」 →授業後、高卒で日銀に就職した親を持つ生徒が現れる。 ---驚いた師は「もしかしてトイレの清掃員とかやってるの?」と聞いたらその生徒に「殴っていいですか?」と言われたらしい。 ---実際、大卒でも東大以外から日銀に入行する人は数多くいる。 ---日銀総合職は師のおっしゃる通り東大卒が占めるので、総合職を目指す場合は東大に行くべきである。 -師が大学時代一番仲が良かったのは、3浪の代で早稲田に入学した東北出身の、現在は高校の先生をしている人である。 大学には地方からも進学している人もいるし、色々な人が集まってくるので、出来るだけ多くのひとと関わりを持つようにと仰っていた。 --「電車でGOでふざけて999km出したら新大阪から岡山まで5分で行っちゃった」 →通常のプレイでは999kmを出すことはできない。 -意外にも自らが受験生であった頃は、日本史はさほど得意ではなかったらしく、早稲田の入試は現代文満点で乗り切ったらしい。 --御三卿が分からなかったが、勉強したところは全て出来たので合格したと仰っていた。 -特に受験期になると自身が受験生だった頃の体験を話してくださる。例えば、早大の受験会場では「柱にもたれかかってウエーって吐いてる子」がいたらしい。なんでも当日の英語の問題が難しすぎて、多くの受験生が精神的に追い詰められていたとのこと。 -早大教育学部の合格発表の日は、大学構内での掲示発表を見に行った(当時はまだネットでの発表はなかった)。かなり人が多く、また入試の手応えがあまり良くなかったので、掲示板の中に自分の受験番号を見つけた時は、「見間違いか疲れているのか、何かの間違いだろう」と思い、自分を落ち着かせるために一度付近の書店に入って立ち読みをしていたらしい。 --緊張も収まり、「もう一度見に行って、自分の番号があったら本当に合格したのだと認めよう」と腹を括り(?)掲示板を見たら先程と同じように自分の番号を見つけたため、その時初めて「合格したんだ」と実感したとのこと。 -師は元駿台生である。現役、浪人時代に駿台に通っていた講師は師以外にも沢山いる。 -師の受験生時代のお小遣いは毎月5000円である。参考書、おやつ代、駿台への運賃は5000円でやりくりしていた。 --「いやぁー、よく5000円で足りたなあ」と興奮気味に話していた。多分2022年度後期だけでこの話を3回以上は聞いた気がする…。 -同じ雑談を同じクラスで何回も繰り返す。が、早口なので気にならない。 -隣の家のおばさんの宗教勧誘がしつこかったことが原因で家を引っ越したことがある。 -師の雑談の中には、師の授業や、他の日本史の授業で、授業にについてこれなくなってしまった、過去の受験生の話や、別校舎の生徒の話が出てくる。その人たちは、師のもとへ質問や相談に来て、師が場合によっては長々と説明して理解できたという話だ。 いまついて来れない人は、師の授業のものでも、師以外の日本史講師が担当しているものでも、師のもとへ質問しに来ると良いだろう。 -また、師の雑談の中には勉強の出来る生徒がよく登場する。 高成績な模試をもって師に褒めてもらいにくるのだとか。 -「この前さー、駿台模試で日本史90点以上(駿台ベネッセで偏差値90以上の場合もある)な生徒が、先生の教えてくれた全部出来ました。って見せにきてくれたんだよ。ちゃんと褒めてあげたよ。」 -「現役生校舎のことなんだけどね、」と言って、現役生の話をすることがある。師はお茶の水で自由が丘校舎の話をすることが多い。 -毎年、生徒の進学先は分かり次第、全て教務から教えてもらう。師に限らず、講師は教務から、受け持ち生徒の進学先が公表され、誰がどこの大学に行ったか分かるらしい。 -苦しい浪人生活で、予備校に来なくなる人たちもいる。「浪人するって決めたからには皆さん頑張りましょうよ」と仰っていた。2022年度後期、「今日も教務から悲しい知らせがあったよ。駿台やめる人がいてさ。皆は最後まで頑張ろう、な?」 --4月から予備校に来なくなる人もいるらしい。「何を考えているのか分からない」と仰っていた。 -説明の時に書く絵が上手い。大学生の時、塾講バイトをしていて、師は地理を教えていた経験がある。その時に図やグラフを使って沢山説明したので、絵が上手くなったそうである。 -師の雑談の中には、よく「『こんな細かい内容は流石に入試では出ないだろう』と高を括ってたらホントに入試や模試で出題されて、のちに師のもとへ『先生が説明してたところ出ましたよ〜』と報告しに来る生徒」が登場する。その度にプリントの内容は全て入試で出ることだ、ということを念入りに話す。 -予備校講師になる前に、私立高で日本史を教えていたことがある。そこでは、学年の中で白木師が教えるクラスと他の教師が教えるクラスに分かれており、定期考査の度に白木師のクラスが高得点を叩き出したところ(テストは両クラス共通問題だった)、もう一方の教師から「そんなに高得点を取らせないでほしい」と言われたらしい。 --ちなみにその私立高はめちゃくちゃ漆黒な職場だったらしい。 -[[井之上勇]]師から絶大な信頼を得ているよう。井之上師と師は昔から縁があったらしく、仲が良い。直前期のTAについて井之上師がメールを送ったがいつまでも師が返信しなかったらしく、「白木さん大丈夫ですかね、体調を崩してないといいのですが」と心配されていた。 -市進ウイングネットの「ウイングネット部」というサイトからは、受験生に向けた師からの学習アドバイスの動画が見られる。 --実際に見てみるとわかるが、まるで別人が説明をしているかのような印象を受ける。普段のテンションをかなり押し殺している感がひしひしと伝わってきて、駿台の対面授業とのギャップが感じられる。 --マシンガントークは封印していて、口調はこれでもかというくらい丁寧。声色や表情も殆ど崩すことなく話のテンポもゆっくりなため、普段よりも言葉の節々から厳しさが見える。つまり普段の師とは真逆である。 --師の授業を受けている人は、動画の最中で「本当はここでもっと蘊蓄を語りたいんだろうなぁ」ということも感じ取れるかもしれない。 --現在、以下3本の動画が公開されている。 [[この夏にすべきこと【日本史】>http://wingnet-bu.com/detail.php?id=42]] [[学習法ナビ【日本史】文化史の学び方>http://wingnet-bu.com/detail.php?id=43]] [[合格ウイングネット【日本史】>http://wingnet-bu.com/detail.php?id=14]] *語録 [#w9397b3c] -「説明しよう!」(某アニメのナレーションのように) -「君たち良かったねぇ私文で。国立だったらこれ論述で出されるからね」 -「ここでトリビア言っていい?」→「語り過ぎちゃった、ごめんね」 -「ちょっと厳しいこと言うけど…」(他講師に比べたら全然厳しくないことを言う) -(江戸時代に行われた箱根用水開発の説明中)「でさー、芦ノ湖に飛び込んで箱根用水を通り抜けて静岡県側に出る、っていう遊びがあるじゃん?」 -「チャーチルチャーチルチャーチルでチャッチャッチャー」 -「ルルトーチャッチャッチャー」 -「確実に志望校に合格する方法はって?んなもんライバルを当日までに片っ端から倒していけばいいんだよ」 -「他の予備校を倒す方法はって?そんなの夜中のうちに破壊工作隊を配置させて…」(以下略) -「領土問題を解決する方法?そんなもん(中略)そのミサイルで爆破すれば平和に解決だよー」 -「『史学科志望なんですけど、就職はやっぱり不利ですか?』って聞いてきた子が居たんだけど、ちゃんと言ってあげたよその子に。『不利じゃないよ、絶望だよ』って。」 -「就職終わってんじゃんと思ったらもっと終わってるのがいたよ、哲学科だよ」 -「『先生が言ってたとこ、この前の模試で出ましたよ〜』って言ってくる子がいるんだけど、そんなの模試で出たって全然嬉しくないっての。いくら模試で出たって、それが入試で出た上で解けないと合格できないんだから。」(因みにこれを言ってきた生徒が受けた模試は河合塾の早大・慶大オープン((河合塾で例年11月23日に行われる早慶志望者向けの模試。駿台ではこの日は授業日であり、この模試を受ける=授業を欠席することになる。この日の授業の出席率を計る講師もいるとかいないとか。))であり、このことにも師はお怒りだった。) -「赤蝦夷、青蝦夷、黄色蝦夷」 -(直前期に)「4月になってここに戻ってくんなよ」 -(思い出を語った後に)「懐かしいな」 -(人物になりきって)「分かってあげてくださいよこの気持ち」 *著作 [#t6816f39] -『センター試験 要点はココだ! 日本史B』(中経出版、2010年) -『瞬間記憶! つなげて覚える 日本史B用語』(かんき出版、2020年1月21日) --通期のまとめノートのダイジェスト版といった感じ。師曰く執筆に数年かかったとのこと。
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