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最首悟
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人物
長年にわたり駿台へ出講。山本義隆師よりも年上で、まさに長老株と言える講師である。
当初は生物科講師であったが、後に医学部受験者用の「医系小論文」を中心とする論文科講師となる。
また、かつて東大後期入試の総合科目I(理系英語)の責任者でもあり、青本執筆の他、3月の直前セミナーでは当該講座を担当していた。
御年80歳を過ぎていることもあり、現在は医系英語・論文マルチプレックス以外ではあまり姿を現さない。
しかし2019年度のパンフレットにも写真は掲載されており、未だやる気満々である。
東大時代はウナギの内分泌などを研究していた。
津田塾大学や恵泉女学園大学、予備校では駿優予備学校(講習の「生物」の授業は絶品だった。)や茨城県の智森学舎予備校などへの出講経験もある。
学生運動(全共闘)時代は山本師に比肩する活躍をしていた。
東大教養学部助手時代に東大闘争が活発化。最首は全学の助手有志とともに「助手共闘」を結成し、その中心メンバーとして全共闘運動に参加した。
安田講堂事件によって逮捕されるも、東大に留まり、内部者として大学当局と対立し続けた。そのため助手より先のキャリアには進めず、27年間助手を務め、定年退職を迎えた。
なお、当時の国立大学の助手は国家公務員であったので、安定した収入はあった。ただ四人の子供、特に後述の星子さんを養うには到底足りず、山本義隆師の勧めにより駿台との兼業を始めたそう。
同じく全共闘(北海道大学)だった明峯哲夫先生とは駿優予備学校および智森学舎予備校で生物講師として同僚だった。
また水俣病問題などへ積極的に取り組みんだこと、そして愛娘・星子が重度の障害を持って生まれて来たことから、障害者問題へも深く関わって来た。
神奈川県下の障害者作業所設置などに携わり、障害者差別の撤廃に尽力してきた。
近年は2016年に発生した相模原障害者施設殺傷事件、通称「やまゆり園事件」の植松聖死刑囚と文通による対話を行なっていることで著名である。
また、学生が組織するオルタナティヴなNPO「シューレ大学」の顧問・アドバイザーを1999年の設立以来勤めている。
当初から続いている「生命論(いのちろん)」は生物学、哲学、社会思想、60~70年代の学生運動論、障碍論をはじめ、臨機応変、縦横に議論を展開し続けている。
師が駿台における医系論文の主導者として生徒を指導してきた根源はここにあると言えるだろう。
最首悟(さいしゅ さとる)は、駿台予備学校論文科講師。社会学者。全共闘活動家。市谷校舎に出講。 *経歴 [#ce02310f] -1936年、福島県生まれ、千葉県育ち 。 -1959年、千葉県立国府台高校卒業。 -同年、東京大学理科一類入学。 -1963年、東京大学理学部動物学科卒業。 -1967年、東京大学大学院博士課程中退 -同年、東京大学教養学部助手。 -1969年、安田講堂事件により逮捕。 -1994年、東京大学退職。 -2002年、和光大学人間関係学部教授。 -2007年、和光大学名誉教授。 -元 駿優予備学校生物科講師。 -元 智森学舎予備校講師。 -障害者作業所「カプカプ」運営委員長。 *授業 [#pc213935] *担当授業 [#pd9b5888] **通期 [#da21dc98] -医系英語論文(市谷校舎) **春期講習 [#a43c03f0] **夏期講習 [#fca8c980] -医系英語・論文マルチプレックス(市谷校舎) **冬期講習 [#x075d772] -医系英語・論文マルチプレックス(市谷校舎) **直前講習 [#x0dd6c68] 直前Ⅰ期 直前Ⅱ期 *人物 [#ic134c7c] -長年にわたり駿台へ出講。山本義隆師よりも年上で、まさに長老株と言える講師である。 --当初は生物科講師であったが、後に医学部受験者用の「医系小論文」を中心とする論文科講師となる。 --また、かつて東大後期入試の総合科目I(理系英語)の責任者でもあり、青本執筆の他、3月の直前セミナーでは当該講座を担当していた。 --御年80歳を過ぎていることもあり、現在は医系英語・論文マルチプレックス以外ではあまり姿を現さない。 ---しかし2019年度のパンフレットにも写真は掲載されており、未だやる気満々である。 -東大時代はウナギの内分泌などを研究していた。 -津田塾大学や恵泉女学園大学、予備校では駿優予備学校(講習の「生物」の授業は絶品だった。)や茨城県の智森学舎予備校などへの出講経験もある。 -学生運動(全共闘)時代は山本師に比肩する活躍をしていた。 --東大教養学部助手時代に東大闘争が活発化。最首は全学の助手有志とともに「助手共闘」を結成し、その中心メンバーとして全共闘運動に参加した。 --安田講堂事件によって逮捕されるも、東大に留まり、内部者として大学当局と対立し続けた。そのため助手より先のキャリアには進めず、27年間助手を務め、定年退職を迎えた。 ---なお、当時の国立大学の助手は国家公務員であったので、安定した収入はあった。ただ四人の子供、特に後述の星子さんを養うには到底足りず、山本義隆師の勧めにより駿台との兼業を始めたそう。 --同じく全共闘(北海道大学)だった明峯哲夫先生とは駿優予備学校および智森学舎予備校で生物講師として同僚だった。 -また水俣病問題などへ積極的に取り組みんだこと、そして愛娘・星子が重度の障害を持って生まれて来たことから、障害者問題へも深く関わって来た。 --神奈川県下の障害者作業所設置などに携わり、障害者差別の撤廃に尽力してきた。 ---近年は2016年に発生した相模原障害者施設殺傷事件、通称「やまゆり園事件」の植松聖死刑囚と文通による対話を行なっていることで著名である。 --また、学生が組織するオルタナティヴなNPO「シューレ大学」の顧問・アドバイザーを1999年の設立以来勤めている。 ---当初から続いている「生命論(いのちろん)」は生物学、哲学、社会思想、60~70年代の学生運動論、障碍論をはじめ、臨機応変、縦横に議論を展開し続けている。 --師が駿台における医系論文の主導者として生徒を指導してきた根源はここにあると言えるだろう。 *著書 [#t9db6d5c] **学習参考書 [#w6312f00] -『お医者さんになろう 医学部への小論文』(駿台文庫、2001年) -『お医者さんになろう 医学部への英語』(駿台文庫、2002年) -『大学入試完全攻略シリーズ 東京大学 理科 後期日程』(駿台文庫、年次版)--総合科目Iの「出題分析と合格作戦」「解答・解説」執筆。 **評論集 [#l8427975] -『山本義隆潜行記』(講談社、1969年) -『生あるものは皆この海に染まり』(新曜社、1984年) -『半生の思想(河合ブックレット)』(河合文化教育研究所、1991年) -『明日もまた今日のごとく』(どうぶつ社、1988年) -『出月私記』 (新曜社、1989年) -『水俣の海底から』(京都・水俣病を告発する会、1991年) -『星子が居る』(世織書房、1998年) -『理科を変える、学校が変わる』(七つ森書館、2001年、共著) -『ケアの社会倫理学』(有斐閣、2005年) ほか多数 **寄稿論文・関連記事など [#b797cc80] -「『ホントウとは何か』予備校で考える」『ザ・予備校』(第三書館、1986年)pp. 200-205. -特集「教育変革と新しい予備校像」 『駿台フォーラム』第19号(2001年) ISSN 02895579 -「<予備>の持続と変容」 -船岡富有子「医系英語論文マルチプレックスについて」 ほか多数 *外部リンク [#z4c3cae0] -[[<序列をこえた社会に向けて>やまゆり園事件 最首悟さんの手紙①>https://www.kanaloco.jp/article/entry-33738.html]] -[[植松被告との文通伝えたい「心失者なんて、いない」>https://www.kanaloco.jp/article/entry-160524.html]]
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