長岡亮介

Last-modified: Mon, 30 Jan 2017 10:59:13 JST (149d)

長岡 亮介(ながおか りょうすけ)は、
駿台予備学校数学科講師。現 明治大学理工学部数学科特任教授。

経歴 Edit

  • 長野県長野市で出生し、神奈川県横浜市で育つ。
  • 聖光学院中学校・高等学校卒業。オフコースの小田和正、鈴木康博らと同期。
  • 東京大学理科一類入学(経歴の出典:東大の数学入試問題を楽しむ)、東京大学理学部数学科卒業。
  • 東京大学大学院理学系研究科科学史科学基礎編専門課程単位取得退学。
  • 津田塾大学学芸学部数学科講師/助教授、大東文化大学法学部教授、放送大学教養学部教授を歴任。放送大学を2008年3月に退職。上智大学理工学部非常勤講師。2009年から明治大学理工学部数学科特任教授。
  • 駿台予備学校数学科講師、元旺文社ラジオ講座(ラ講)講師。
  • 専門は、近現代数学史、数理思想史、そして最近は情報科学論。「数学の意味を追いかけていったら、数学史にたどりつき、最近は、進展するICT革命に、数学哲学と数学史の立場から強い関心をもっている」
  • 趣味は、オートバイ、スキー、テニスから音楽(「なんと言ってもバッハ」)、囲碁(依田紀基名人の「不肖の弟子」が自慢の種)、茶道(表千家)、日本酒まで幅広いが、最大の趣味は、数学教育。「認識が開かれた一瞬に人が見せる顔の輝きが大好き。」
  • 予備校の教壇を降りた今なお数多くの教科書、受験参考書を執筆し、旺文社大学入試問題正解の東京大学(数学)を担当するなど、大学受験業界において影響力を持ちつづけている。
  • なお、元駿台予備学校数学科講師で、現東進ハイスクール数学科講師の長岡恭史は実弟である。
    • 駿台での在職期間が重なり、兄弟の顔写真が仲良く並んでパンフレットに掲載されていた。

人物 Edit

  • 駿台予備学校時代はカリスマ講師として君臨し、信者となる生徒も多数いた。
    • 実際に駿台の教壇に立っていたのは大学院の博士課程の1年目、25歳から40歳の頃まで。ソースはこちら(疑わしい、正確には50歳までなのではないか?)。大学教員との兼職であったため、通常授業、講習ともに担当する授業数は限られていた。
    • よくあるペンネームなどは使わず、一貫して本名を名乗っていた。
  • 口ひげを蓄え貫禄のある立ち振る舞いをしており、独特の雰囲気があった。また、授業態度の悪い学生に激高し、黒板消しで頭を叩くなど、厳格な面を持ち合わせており、このようなところも一部の学生を引きつける魅力であったのだろう。
  • あの雲幸一郎師に「このテキストは長岡師が作ってらっしゃるからこう解くのが目的なんでしょうけど、僕ら凡人にはこちらの解き方の方がいいですね」と言わしめるほど。後進の講師にも多大な影響を与えたと言われている。
  • 現数学科主任の小林隆章雲幸一郎や藤田宏、秋山仁長岡恭史らとも共著したことがある。「大学への数学」シリーズ(いわゆる黒大数)は師らの代表的な著作である。
    駿台の教壇に立っていたのは大学院の博士課程の1年目、25歳から40歳の頃まで。ソースはこちら。大学教員との兼職であったため、通常授業、講習ともに担当する授業数は限られていた。

授業 Edit

  • 予習をせずに教壇に立つ師の授業は、哲学じみた雑談の合間に授業を進めるといっても差し支えないほどのものであったが、その雑談に啓蒙される者も少なくなく、なんといっても師の解答解説は数学の奥深さを感じられるものであった。旺文社の全国大学入試問題正解の東京大学の解説にその片鱗を伺い知ることができる。
  • その一方で、テキストのやり残しの埋め合わせに信者に作成させた解答をそのまま配布して授業を終えるなど予備校講師としてはいささか「雑」な側面も持ち合わせ、その長く時に説教じみた雑談と相まって一部の生徒の間での評判は芳しい物ではなかった。
  • このように賛否両論あったが、予備校を卒業しても長く記憶に残る師であることは間違いない。師のような、学者兼業のアウトローな予備校講師を「名物講師」として受け入れる寛容さがかつては駿台にも生徒にもあったのだが、昨今はどうなのだろう。