山本義隆

Last-modified: Mon, 17 Apr 2017 00:39:09 JST (9d)

山本義隆(やまもと よしたか、1941年12月12日 - )は、駿台予備学校物理科講師。科学史家。2号館,3号館,千葉校に出講。ここでは、山本師の予備校講師としての側面を中心に記述する。

経歴 Edit

  • 大阪府出身。
  • 大阪市立船場中学校卒業。
  • 大阪府立大手前高等学校卒業。
  • 東京大学理学部物理学科卒業。 (1964年)
  • 東京大学大学院博士課程中退。

授業 Edit

  • 科学史の話などを交え、微積分を多用するまさに駿台らしいアカデミックでハイレベルな講義で、長年の間生徒を魅了しつづけている。
    • 授業時に法則などで人名が出てきた際その人について掘り下げて色々なことを話してくださったりする。(例えばフックの法則に際し彼の様々な功績を紹介した時には、その翌週に一つの例としてフックのノミのスケッチをプリントで配布されることもあった。)
    • 複雑な物理の概念を磨き抜かれた平易な言葉で解説することにかけて、師の右に出るものはいない。その希有な能力は授業はもちろんのこと「新・物理入門」等の著書に惜しみなく注ぎ込まれている。
    • その著者「新・物理入門」は受講者必携の名著。駿台生の物理の教科書と言ってもいい。まるで師が紙面から語りかけて来るようで、授業の理解が増す。
  • 板書は丁寧に書いてくれる。
    • 古くから教鞭をとっておりなんとなく白チョーク一本のシンプルな板書と思われるかもしれないが、意外にも数色のチョークを使いカラフルな板書をなさる。
    • 基本的に解説パートと解答パートに分けて板書なさる。色チョークを使ったり丁寧になさるが、数理処理の部分や問題の解答では板書の日本語が少々ぶっきらぼうな点もある。
    • また字が独特で、特にvとVが判別しづらかったり、“=”が“–”にみえたり、“v1”が“u”に見えたりもするが、あとで質問にいけば教えてくれる。(新物理入門問題演習の記述演習の模範回答は非常に綺麗だが代筆してある物のようだ)
    • ただ、加齢によるせいもあるのだが、板書ミスや作成担当をしている教材の校正ミスが多い(ただ、大体はその場で訂正される)。 最前列の人は、気付いたら遠慮なく言ってあげよう。 師も「最近の学生は冷たい。」と嘆いている。
  • 市谷校舎への出講依頼が寄せられているようだが、医学部専門校という特徴ゆえ科学の道(自然科学、主に物理学という意味で)へ進む者が多くない為断っているらしい。
    • 10数年前までは、市谷校舎の医系スーパーコースにも出講していた。
  • 余談だが、物理S-Part1の幾何光学における解説で師の描く金魚の絵はある種のイベントになりつつある。毎年一度しか見ることができないので写真を撮る者も。(三宅唯師や果てには教職員もこぞって撮りに来るほど。)

担当講座 Edit

通期 Edit

夏期講習 Edit

  • 物理α「最新入試!」(お茶の水校千葉校)
    • 師が教材作成担当。
    • 問題が重い講座なので、通期授業と比べると、テンポの早い授業を展開する。
  • 東大物理(お茶の水校)
    • こちらは時間に余裕があるので、そこそこ深いところまでやってくれる。授業を通年で受けたいがクラスの関係上それがかなわない人は、この講座を夏冬でとるのもよいかもしれない。

冬期講習 Edit

人物 Edit

  • Wikipediaにまともに記事が書いてあるほど、世間でもよく知られている人物である。
    • 3つの側面で有名である。予備校講師として、科学史家として、1960年代における大学学生運動の指導者として、有名である。
    • 詳しくは右記のページを参照のこと→wikipediaの山本師のページ
  • 予備校講師として故坂間勇師らと共に現在の駿台物理科の礎を築いた人物であり、受験業界で著名。現在の駿台における最古参講師の一人。
    • かつて京都校にも出講していた縁で、関西の講師のなかにも、教わったり、一緒に働いたことがある講師がいる。
    • 鹿野俊之師や星本悦司師など、現在駿台で教鞭をとる講師陣が浪人時代から教鞭を執っているので、現在の駿台は親子三世代同居状態にある。
    • 同じ関西物理科の中田俊司師が尊敬する存在である。論述問題についても「山本さんの文章は本当に素晴らしい。」と言い、絶賛している。
  • また、科学史家として広く世間で知られた存在である。
    • (主に物理に関わる)科学史の著作・翻訳を、岩波やみすずなど権威ある出版社から多数出している。
      • 特に、『磁力と重力の発見』(みすず書房)は、第1回パピルス賞、第57回毎日出版文化賞、第30回大佛次郎賞を受賞しており、新聞などの書評でも、アウトローな経歴ともども、さかんに論じられた。
    • 大学の教授職には就かなかったが、科学史家としての業績は一般的な大学教授をはるかにしのぐ質と量である。予備校で仕事をしつつこれだけ熱心に著述に精を出すのは、かなり勤勉といっていいだろう。
    • Wikipediaには、師のことを自然哲学者とまで書いてある。もっとも、これは本人が否定するだろう。
      • 「19世紀以降、自然科学と自然哲学の両者は完全に分離して考えられるようになり、現在では、「自然哲学」を標榜する人間は極めて少ない」と、当のWikipediaにも書いてある。
  • さらに、東大在学時には学生運動に深くかかわっており、(東大における学生運動の団体であった)東大全共闘の議長にまでなっており、この点でもよく知られている。
    • その年の東大入試を中止させる原因になった、当時の学生運動の象徴的事件として、記録映像にも残っていて今でも大変有名な東大安田講堂事件にも深く関わっている。
    • この件で日本史の参考書に名前が載っていることがある。参考書を「書く」のではなく参考書に「載る」、唯一の予備校講師である。面白がって、別にのせなくてもいいものを載せているという側面もある。
  • (学生運動にはまりこんだからか)研究者の道には進まず予備校講師を職業にする。
    • 福井紳一師曰く、「彼が駿台で教えているのは学生運動をしたからですよ」とのこと。
      • まあ実際一流の学者からも将来を嘱望されていたのでその通りかもしれない。学生左翼の親玉たる全共闘の議長をやって東大入試中止までやらかした師も師で悪いというのも一理あるが。
    • 研究者の道にはすすまなかったとはいえ、時代が時代なら研究者になっていてもまったくおかしくはなく、頭の良さは森下寛之師が山本師は特別だというほど。
      • これは余談だが、受験対策をする講師としてだけを見れば、森下師と師で総合的にどちらがいいと思うかは好みの問題だろう。物理をしっかり考えさせるという意味では、駿台では一番上に位置するのは間違いない。(おそらく、森下師がこのページをみたら、「畏れ多いわ」と言うであろうが)
  • 今なお政治的にはかなり左よりで、反権力志向は強い。
    • 原子力発電所に対して反対の立場を明確にしている。東大解体を旗印にした学生運動時代からの師の問題意識の延長線上にある、原子力発電所をめぐる政治と学問の癒着の構造に怒りをあらわにしている。この件に関しては著書もかいている。
  • もっとも、生徒には基本的に優しい。
    • 大学時代の経歴から物凄そうな人に見えるが、今となってはただただ優しいおじいちゃん。もっとも、年に数回、政治や歴史観について、大学当時を思わせるかなり左翼的な発言はする。
  • 意外にも遅刻には比較的寛容。他の生徒に迷惑をかけないように、とのこと。
    • 「遅刻するな!なんて自分の学生時代を思うと到底言えたものじゃない」らしい。
      • とはいうものの「遅刻は(時間を)損をする。」ともおっしゃっていた。
      • 「自分が君らくらい(18、19歳くらい)のとき、40歳や50歳になるとは思っていなかったからね。なるからね。30過ぎたらあっという間よ。」といい、時間が大事なので予備校通いや浪人は長くしないようにとのことである。
  • ただ、あまり低レベルな質問はするべきではない。
    • 怒られたりはしないが、どんな質問でも親身になって答えてくれるというタイプでもない。
      • 生徒が自分で考えた方が生徒自身のためになるようことを質問した際には、わざと答えず、生徒が自分で考えるよう促してくださっているようにも思われる。
    • 講習の時は質問に関して「一晩考えて疑問点を明確にしてから来て欲しい」との発言を繰り返される。
    • 「本来もっともよい授業とは生徒にやれとだけいってとことん考えさせる類のものをさすのであって、あまり過保護に手取り足取り教えるとかえって頭をつかわなくなるからためにならない」、という趣旨のことをおっしゃっている。
  • 関西人。適度な大阪訛がとても心地よい。
    • 関西出身なためか、小林俊昭によれば、阪神タイガースの大ファン。
    • 受験生への激励の色紙に「阪神頑張れ」と書いて教務から書き直してくださいと懇願された、というエピソードを大島師がしゃべっていた。
  • ファッションは一貫されているようで、少なくとも千葉校においては毎週常に色のこけたデニムシャツに年季のある革ベルト、履き潰されたジーンズにレッドウィングのブーツという出で立ちである。遠目でも一目でわかる。
    • 昔の授業を受けていた生徒のなかにはホームレスのようだと冗談めかしていうものまでいる。
  • 大学生向けの参考書も手がけている。
    • ものよっては大学院生レベルでなんとか読めるというとんでもない難易度である。
  • 千葉校ではしばしば笠原邦彦師と一緒に校舎を出るのが目撃されている。ちなみに、笠原師とは神保町で会食をしている姿が目撃されているらしい。
    • 現在千葉校で師と同じ日に出講してるのは三宅唯師であり、昼休みは必ずと言っていいほど毎回一緒に校舎を出ている。
      • 笠原師は早くから東大理系演習コースを、三宅師は早くから東大実戦の作問をそれぞれ任されておりおり、千葉校で師と同じ日に授業を受け持つ物理科講師はかなり期待されている講師であるようだ。
  • 意外にも受験生時代は化学が苦手だったそうで、有機分野は暗記でかろうじて乗り切ったらしい。
  • 大学時代の反権力的な志向の強い経歴からもわかるが、権威主義的な考えを嫌う人なので、このwikiにあるような、岩波やみすずから本をたくさんだしてるとか、湯川秀樹からも認められた、というような記述は、師は好まないかもしれない。実際自著の紹介などはまずしない。
  • 山本師が湯川秀樹の弟子であったというような話はメディアによってつくられた虚像であると山本師自身が「私の1960年代」に書いておられる。山本師のページを編集しようとする人に注意を促したい。

著書 Edit

著作を持って講師室に行くと「僕は字が汚いんだよ」と言いながらサインをしてくれる。
もちろん駿台生の必需品『新・物理入門』でも大丈夫である。

  • 『知性の叛乱』(前衛社)(1969)
  • 『古典力学の形成―ニュートンからラグランジュへ』(日本評論社)(1997年5月1日)
  • 『解析力学1』(中村孔一との共著)(朝倉書店)(1998年9月1日)
  • 『解析力学2』(朝倉書店)(1998年9月1日)
  • 『ニールス・ボーア論文集〈1〉因果性と相補性』(翻訳)(岩波書店)(1999年4月16日)
  • 『ニールス・ボーア論文集〈2〉量子力学の誕生』(翻訳)(岩波書店)(2000年4月14日)
  • 『磁力と重力の発見〈1〉古代・中世』(みすず書房)(2003年5月1日)
  • 『磁力と重力の発見〈2〉ルネサンス』(みすず書房)(2003年5月1日)
  • 『磁力と重力の発見〈3〉近代の始まり』(みすず書房)(2003年5月1日)
  • 新・物理入門』(駿台文庫)(2004年5月1日)
  • 新・物理入門問題演習』(駿台文庫)(2005年11月1日)
  • 『一六世紀文化革命 1』(みすず書房)(2007年4月17日)
  • 『一六世紀文化革命 2』(みすず書房)(2007年4月17日)
  • 『熱学思想の史的展開〈1〉熱とエントロピー』(筑摩書房)(2008年12月10日)
  • 『熱学思想の史的展開〈2〉熱とエントロピー』(筑摩書房)(2009年1月7日)
  • 『熱学思想の史的展開〈3〉熱とエントロピー』(筑摩書房)(2009年2月1日)
  • 『力学と微分方程式』(数学書房)(2009年8月1日)
    • 比較的手頃な難易度であり駿台の授業+αの物理に触れることができる。
  • 『演習詳解 力学 第2版』(日本評論社)(2011年7月20日)
  • 『福島の原発事故をめぐって―― いくつか学び考えたこと』(みすず書房)(2011年8月25日)
  • 『世界の見方の転換 1 ―― 天文学の復興と天地学の提唱』(みすず書房)(2014年3月21日)
  • 『世界の見方の転換 2 ―― 地動説の提唱と宇宙論の相克』(みすず書房)(2014年3月21日)
  • 『世界の見方の転換 3 ―― 世界の一元化と天文学の改革』(みすず書房)(2014年3月21日)
  • 『幾何光学の正準理論』(数学書房)(2014年9月15日)
  • 『原子・原子核・原子力――わたしが講義で伝えたかったこと』(岩波書店)(2015年3月25日)
  • 『私の1960年代』(金曜日)(2015年9月15日)