坂間勇

Last-modified: Sun, 23 Jul 2017 01:56:04 JST (146d)

坂間 勇(さかま いさむ、1935年‐2008年8月8日)は、元駿台予備学校講師。 元茨城大学助教授。

経歴 Edit

  • 東京都渋谷生まれ。
  • 東京都立戸山高等学校卒業
  • 東京工業大学理学部物理学科卒業(専攻分野は、素粒子・原子核)
  • 茨城大学助教授を経て、駿台講師に。

授業 Edit

  • 高度な数学を多用した駿台でも群を抜いてハイレベルな授業を展開していたことでよく知られている。
    • 大学に行ってから高校で扱う内容を現代的な視点から学び直すことは無駄であると批判し、微積分等を用い大学での勉強に直接つながる授業を展開することをモットーとしていた。
    • 山本義隆師の授業をこえる難しさ(ぶっとんでるレベル、とよくいわれていた)で、最上位クラスの生徒ですら理解できない生徒が続出し、他の講師の授業にもぐる生徒がとても多かった。比較的万人向けの授業を展開する山本師に対し、受け手をえらぶ授業であった。
    • お茶の水校東大コースでは上位クラスを坂間師、下位クラスを山本師が同じセクション担当しており、言うまでもなくモグりが横行した。他クラスにおいて、坂間師、山本師のランデブーのクラスがあったと聞くが双方の授業の出席率は推して知るべし。
  • 授業の進め方は独特なものであった。坂間ワールド、フリーダムとしか言いようのない授業であった。
    • チャイムが鳴り教壇に上がると、無言で黒板の左端に巨大な字で問題番号を記しおもむろに授業を開始する。酔いどれオヤジの啖呵と見まがうようなべらんめぇ調で喋りながら、乱雑に数式を書き殴りつつ授業していた
    • 小問をことごとく無視し、おおよそ問題のキモも部分を説明すると細かい問題は割愛してしまったり、自分の作成したテキストにもかかわらず問題を”ナンセンス!”と切り捨てたりもする。
    • セクション1のクラスでセクション2の授業を開始したり、問題の解説の途中でなぜか次の問題の解説をはじめてしまい、それに気付いた師はどちらの問題もナンセンス、と途中で問題を打ち切ってしまったという逸話もある。結構天然なキャラクターであられたようだ。
    • 型破りの授業ではあったが、授業内容には一切の妥協がなく、まさに最高レベル。微積分を駆使しつつ、物理の本質を正しくゼロから指導する授業を展開した。
    • 師の授業の雰囲気を知りたいのであれば、師の名著『特ゼミ 坂間の物理』もしくは大昔(坂間師の執筆していた時代)の青本東大物理を入手してみるとよい。青本においては”こうも簡単では我々の仕事がなくなって困る”などと東大の入試問題をぼろくそに批判している年度もある。
    • 全身から物理が好きで好きで仕方がない、"物理愛"のようなものを感じさせる授業、お人柄であった。
  • 時折でてくるユーモラスな表現や科学史にかかわる雑談も生徒を魅了した。下記名言集参照。
    • 難易度が超越していたという声も多いが、その独特な語り口から繰り出される例え話や物理現象を鮮やかに描き出すイメージの解説は非常に的確かつユーモラスなものであり、そのインパクトにより一発で脳裏に焼き付くものであった。
  • 師の求める予習は、問題の設定を正確に把握し、問題を記憶するくらいまで読み込む、というものだった。
    • これは、予習により自己本位な解答をこねくり回すよりも、予め問題の設定を正確に理解することに専念し、授業においては講師の提示する最高の方法をしっかり自分の頭に叩き込み、復習において自分でもそれを再現できるようにすべきである、という師の考え方によるものである。
  • 授業ではノートをとることを厳禁にしていた。
    • しっかり師の問題を解く様子を頭に刻みつけ物理現象を正しく理解し、復習は授業での記憶を元に授業の内容をしっかりノートに再現しなさい、質問があればそのあとに来なさい、という趣旨だそうで、非常に独特なものであった。そもそも板書が早すぎて取れなかったが・・
    • 実際過去には、本当にノート厳禁令があったそうだ。授業中にノートを書いている人を見かけたら没収していたということも・・・。
    • 森下師曰く、坂間師の授業についての質問を受けた際に生徒のノートの文字が坂間師に似ていて驚いたという。そのことから、坂間師は生徒を上に引き上げることのできる真の講師だったと評している。
  • 力学が最重要で授業は4月の4週目までが最重要であると強調されていた。
  • 質問対応に当たっては、男子生徒には非常に素っ気なく、女子生徒には親切だったらしい。
  • 理論を追い求めるタイプの一部の生徒からは熱狂的に支持されていた。
    • お茶の水の最上位クラスの生徒は坂間師の授業が好きな生徒は化学の小倉勝幸師の授業が好きで、山本義隆師の授業が好きな生徒は化学の三國均師の授業が好きという傾向があったという。
      • 理論で押していくタイプとスマートに整理して提示するタイプ、という見立てである。
  • 網羅的ではないが担当講座の変遷は以下のようなものである。
    • 80年代から90年代半ばまでお茶の水校の高3の東大物理(当初は土曜日のみ担当 木曜日は常盤雪夫師担当)を担当していた。
    • 92年ごろまでお茶の水の難関国公立理系コースの上位クラスの物理AⅠ教材も担当していた。(下位クラス谷藤祐師か山本義隆師担当。)
    • 90年代末期は、お茶の水校の高3スーパー物理2クラスを担当していた。(ちなみにお茶の水校高3ハイレベル物理を山本師が担当 池袋校のスーパー物理を森下師が担当)また、横浜校の高3の東大物理も坂間師担当だった。
    • 90年代は 横浜校特設単科 物理 坂間講座も担当していた。
    • 最晩年は、通年では御茶ノ水で特設単科「現代の物理学」と横浜校で事実上単科講座である現役生向けの最上位クラスを担当し、講習会では「物理 坂間講座」を担当していた。
      • 共通一次試験時代、お茶の水の高卒の共通一次対策を坂間師が担当していたこともある。(その後、常盤雪夫師、中島信幸師、新井正一師担当に変わった。)

人物 Edit

  • 往年の名物講師のひとり。特徴的な髪型、服、エキセントリックな言動、その受験レベルを完全に超越した難易度の授業で、駿台内外でよく知られる存在であった。
    • 爆発ヘアに白衣姿がトレードマーク。かわった科学者を題材にした昔のコントにでてきそうな感じの、ある種ステレオタイプないでたちであった。顔立ちが整ってるわけではないが、愛嬌のあるかんじで、かわいらしくみえないこともない顔をしている。
      • 山本師は「理論屋の癖に白衣を着て実験屋ぶっている」と言っていたこともあるそう。森下師曰く白衣はチョークの粉避けだったようだ。
  • 変わり者としても有名で、逸話にもことかかないが、なんとなく憎めない、愛嬌のある人物であったのは多くの人が語るところである。
    • 一般的な尺度でいえば不親切きわまりない授業でありながら生徒から不満が聞かれなかったのは、授業内容が至極真っ当であったこと、そして師自身のキャラによるものであった考えられる。
    • ネット検索してみてもわかるが、不満自体はたくさん出ていたのだが、あの人は特別だからと坂間師のような講師を許容する声のほうが、当時の駿台では一般的だったらしい。おおらかな時代だった、ということだろう。
  • 現在駿台の講師をしていて坂間師の授業をうけていたり、あるいは亡き師を偲んで思い出話を語る講師も複数いて、やはりそれだけ人をひきつける魅力があったのだと思われる。
    • 関西駿台物理科の重鎮、新田克己師(元主任)は、尊敬している旨をときおり語られるそうで、授業中の雑談に坂間師のエピソードを良く語るらしい
    • 田沼貴雄師も、坂間師の著者をあげて絶賛していたことがある。また、解説時に、この解法は昔駿台にいた坂間師が考えたと言うことがある。
    • 小倉正舟師も、相対性理論の入門には『物理学事典』の坂間師の記述を薦めている。相対性理論を理解するためには専門書を読む必要があり、一般向けの書物をどれだけ読んでも到底理解できるものではないが、この本は専門書以外では唯一の一読の価値がある内容であるとのこと。
    • 笠原邦彦師は現役時代に坂間勇師の授業を受けており、その影響をかなり受けている。
      • 坂間師の授業と正反対に、笠原師の授業はノートを綺麗に取らせ、説明も生徒に合わせてゆっくりと行うが、これは坂間氏の授業が相当大変だった反動だろう。
      • 坂間師が亡くなる1週間前にお見舞いに行ったらしくその時に「君、サインカーブは綺麗に描かないと」と言われたらしい。そのことを笠原師は一生忘れられないと仰っていた。
  • 青本の物理の解説をかつて執筆していた。
    • 講評の部分が、あまり堅苦しくないユーモラスな筆致で書かれていて、師の授業での言動を彷彿とさせるものがあった。森下師による現在の青本の講評部分の筆致にすこし近い。
  • お亡くなりになる年まで、駿台講師を続けておられた。生涯現役の講師であった。以下はご家族の方からのコメント。
    • 「本日(2008年8月10日)、坂間勇の葬儀が行われました。 息を引き取ったのは2008年8月8日で、享年74才でした。 彼は最後まで彼らしくあり、本当に気さくで素晴らしい方 でした。生前の彼は素敵な教え子さんたちに囲まれてとて も幸せだったと思います。彼のことを親しんでくださった 方々に、私からお礼を言わせてください。本当にありがと うございました。」
  • 血液型はB型。
  • 愛車は黄色のポルシェ。
  • 駿優予備学校ほか、いくつかの他予備校にも出講していた。

名言集 Edit

  • 「春にふさわしく、何か新しいことを始めよう。何を始めましょうか、春にふさわしく、ということであればもうきまり、新しい恋を始めよう。
    恋人とは、真面目に、忍耐強く、付き合わなければなりません。軽く付き合っただけで、これはこうなんだな、と勝手に思い込んでいると、後で裏切られます。まして、ちょいとひっかけてやれ、なんていう不真面目な態度で、いいことあるわけないでしょう。
    真面目に忍耐強く付き合っていれば、恋人は必ず心を開いてくれるでしょうか、それが、なかなかそうはならないところに、人生の難しさ、厳しさがある。ただもうがむしゃらに追い求めると、かえって恋人は逃げ出すでしょう。押してだめなら引いてみな。たまには肩の力を抜いて様子をうかがうとか、なんか駆け引きがあるみたい。「春の講習」で手ほどきしてもらおうか。
    え、恋人の名ですか、「物理」です。(1993年春期講習案内文より)」
  • 「なぜなしイコール」(運動方程式のイコールは証明されて導かれるイコールではない)
  • 「ハイしゅっぱーつ!ただいま接近中!」
  • 「宇宙空間に質点有り」
  • 「このイコールはだれの責任?」
  • 「仮説前提なぜなーし 論理なきイコール」
  • 「物理は実技の科目です」(問題演習の重要性を説いていた)
  • 「アー物理ってつまんねぇな、手の体操だなー」(力学の問題は運動方程式が正確に立式できればあとは手の体操である。という意味)
  • 「電気力線に本数なんてねぇんだ」

著作 Edit

  • 谷藤祐山本義隆)『大学入試必修物理(上)』(駿台文庫、1979年)
  • 谷藤祐山本義隆)『大学入試必修物理(下)』(駿台文庫、1980年)
  • 『物理に関する10話 (駿台レクチャー叢書)』(駿台文庫、1989年)
  • 『現代の物理学―大学へのスーパー物理 (力学編)』(駿台文庫、2000年)
  • 『難関校突破のための物理特講90』(旺文社、1985年)
  • 『特ゼミ 坂間の物理』(旺文社、1990年)旺文社オンデマンド出版のみの取り扱い
  • 『現代物理学小辞典』(講談社)