伊藤和夫

Last-modified: Sat, 06 May 2017 15:06:09 JST (49d)

伊藤 和夫(いとう かずお、1927年 - 1997年1月21日)は、元駿台予備学校英語科講師、同主任。学校法人駿河台学園理事、駿河台大学理事、客員教授。

経歴 Edit

  • 1927年 長野県生まれ
  • 1944年、旧制東京都立第五中学校卒業。(現、東京都立小石川中等教育学校。)
  • 同年、旧制第一高等学校(新制東京大学教養学部の前身校の一つ)を受験。
  • 1953年、東京大学文学部西洋哲学科卒業。
    • 卒業論文はスピノザの「エチカ」。
  • 1954年、横浜の山手英学院で英語科講師として勤務。
  • 1966年4月、奥井潔師の紹介で駿台予備学校英語科へ移籍。以後、専任講師として1990年代中盤まで勤務。英語科主任、学校法人駿河台学園理事などを歴任。
  • 1997年、死去。

授業 Edit

  • 駿台英語科の基盤を作った講師である。「受験英語の神様」「受験英語界の巨人」と呼ばれることもある。
    • 在職中は特別扱いだったらしく、運転手つきの黒塗りの車で駿台の地下駐車場に入り、エレベーターには警備員がついて、大臣なみの扱いであったことが語られている。
  • 基本英文700選』、『英文解釈教室』、『ビジュアル英文解釈』 『新・英文法頻出問題演習』をはじめおびただしい数の英語参考書を執筆し、今でも駿台内外でよく知られている。
    • なかでも、『英文解釈教室』は、伊藤和夫の受験英語業界および駿台内における地位を不動のものにしたのはもちろん、東大はじめ難関大志望者向けの予備校として駿台が現在の地位を確立する上でも一定の役割をはたした歴史的著作である。
    • また、「『基本英文700選』を暗記すれば、わからない英文はなくなる」とも1970年代から1980年代の受験界では言われていたらしい。
    • 1980年代後半の受験生の姿を描いた『七帝柔道記』には「合格者のほぼ全員が『英文解釈教室』を使っていた」と伊藤和夫の名が実名で登場しており、当時駿台生にかぎらない多くの受験生の間でいかに伊藤が巨大な存在だったかがわかる。
  • 駿台英語科の伝統として今に残る「構文主義」を考案した人物。
    • 構文主義とは、伊藤以前の受験英語教育における和訳法(単語や熟語に日本語をあてはめ、場当たり的に英文法の知識を用いて和訳していくやり方。単語熟語主義とも)と対比する形で、英文法を読解用に体系的に再構築して合理的にひとつひとつの文の構造・骨格を把握していこうとする姿勢、くらいの意味である。
    • ここでいう構文とは「くじら構文」や「so~that構文」などの特定の定型表現の意味ではなく、「文の構造」の意味。
    • 構文主義は駿台はもちろん、他予備校の英語講師や高校の教師のあいだでも広く浸透している。英語教師の大半が当たり前のように構文把握を重視するのは、伊藤和夫の影響といってよいだろう。
  • 英文法を英文和訳の際に利用しやすいように体系的に再構築し、「受験生がどう頭を働かせれば、英文の構造を読み解けるのか」を誰でも習得できる形でまとめた。
    • 極力返り読みをしなくてもすむような体系をつくりあげた。「直読直解」を目指していた。
    • 「予測と修正」という考え方(たとえば、文頭に前置詞があったら後続の文はどうなるか予測をたてる、実際によみすすめるうちに予測にあわないことがあったら修正する、といった考え方)を大事にしていた。
      • 夏期講習の「英語構文特講」のテキストを読むと、駿台英語科が今でもこの考え方を大事にしているのがわかる。
    • 品詞分解のような読み方は、ある程度は必要悪として認めていたが、英文の原型が分からなくなるほど文を細切りにすることは、返り読みにつながることもあり、否定的であった。
  • 最晩年にいたるまで入試英語の変化にも敏感で、自身の指導法も絶えずベターな方法を模索していた。
    • 受験英語の変化(長文の増加、出題される英文の内容の変化、記述式から客観式への変化など)にも敏感で、最晩年にいたるまで、たとえば長文に対処するにはどうするかなど、変化への対応を真剣に考えていた。決して、練習すればそのうち読むスピードもあがるからなんとかなる、といった類のことは言わなかった。「伊藤和夫の英語学習法」(駿台文庫)参照。
    • 自身の英文読解の方法も、よりよくするためにはどうすればよいかを常日頃考えていたそうで、そのことは英文解釈教室改定版の前書きやビジュアル英文解釈の「あとがき」などを読んでもよくわかる。
  • 実際の授業は淡々とした眠気をさそうものだったという声が多い。
    • 雑談はほぼ挟まず、抑揚に乏しく終始淡々と授業を進めるので眠気を誘い、また、授業内容も英文解釈教室他の著書と重複することもあり、晩年は後期ともなると教室には空席が目立った。
    • 良く言えば、授業は一切の無駄がなく洗練されており、師のこだわりが凝縮されていたもので、職人肌で完璧主義を感じさせるものがあった、ともいえる。
    • 「物言わぬコンマが雄弁に語っているのであります」など、ウトウトしていると聞き逃してしまうようなレトリックやユーモアをサラリと挟んだりもする。
  • どのクラス・どの校舎でも、同じタイミングで同じ話しをする、という声もよくきかれる。淡々とした機械的授業ということである。
    • なので、その日の進度が終了するとチャイムが鳴る前に授業を終えるが、教室を出るためにドアのノブに手をかけるあたりでチャイムが鳴る、という芸当もできる。
  • 抑揚のまったくない特徴的な喋り方をする。
    • 伊藤師の存命中は、大島保彦師がよくまねしていたらしい。
    • クラスに一人は必ず伊藤師の物真似が得意な者がいた。「エハァン!」という師の独特な咳払いをいかに上手くパクリ適切なところに入れるかが鍵。
  • 英語の発音は完全な日本人英語であった。
    • Whatを「ウォット」と発音していた。
  • 授業態度が悪いとかなりきつく怒ることも。
  • 思慮の浅い質問を嫌ったいた。
    • 教師というよりは、生真面目な作家的な印象で、真面目で勘の鋭い生徒を好んでいた。
  • 某師によると、和訳に関して、「サッカー」を「蹴鞠」、「テーブル」を「卓」、「キャリアウーマン」を「職業婦人」など、とにかく外来語は何でも日本語に直さなければ模試などでバツにする方針だったとのこと。よって某師によると伊藤師曰く、「オープンカフェ」は「道路に突き出たところに卓がある喫茶店」だったとのこと。
    • これは一種のジョークだろう。英文解釈教室での伊藤の訳例からちょっとひろってみるだけでも、ユーモア、ジャングル、サラリーマン、レール、ボートと外来語はすぐでてくる。

人物 Edit

  • 長い駿台の歴史の中でも、もっとも有名な講師の一人である。
    • 朝日新聞の「おくやみ」欄(著名人が亡くなった際に載る欄)にでたほどである。
  • 生涯独身であった。
    • 校舎内でソープの回数券をポケットから落として、それを拾った生徒が師に渡そうとしたら、「君にあげるよ」とおっしゃったらしい。
  • 中肉中背で、髪は晩年にいたるまでふさふさ。かわいらしくみえないこともない見た目をしている。
  • 英語教師ではあるが自身は英語を受験科目としては使わなかった。
    • 伊藤師が受験生だったのは太平洋戦争が最も激しかった時期で、旧制高校の入試史上唯一の受験科目から英語が削除された年であった。受験英語に一生を捧げるようになった師ではあるが、自身は入試科目で英語を受験せずに新制東京大学教養学部の前身校に入学したことになる。
  • 駿台に引っ張ってきた奥井師ら少数の優秀な講師と仲が良かったらしい。信頼できる人にしか心を許さないところがあったそうだ。
    • 新宿歌舞伎町の奥の飲み屋に秋山仁師とよく飲みに行ったらしい。
  • 喜怒哀楽が激しかった。
    • 酒を飲んでご機嫌だとと箸で茶碗を叩き喜ぶが、会議などで機嫌が悪くボルテージが上がると机をドンドン叩いて怒る。
    • 派手なことは嫌いだが子供っぽいところ(純心)があった。

著作一覧 Edit